晏子 第1巻 宮城谷昌光

平成9年9月1日発行

 

裏表紙「強国晋を中心に大小いくつもの国が乱立した古代中国春秋期。気儘な君公に奸佞驕慢な高官たちが群れ従う斉の政情下、ただ一人晏弱のみは廟中にあっては毅然として礼を実践し、戦下においては稀代の智謀を揮った。緊迫する国際関係、宿敵晋との激突、血ぬられた政変…。度重なる苦境に晏弱はどう対処するのか。斉の存亡の危機を救った晏子父子の波瀾の生涯を描く歴史巨編、待望の文庫化。」

 

巻末の池田雅延の解説によると、春秋時代という呼び名は魯の国の史書『春秋』から採られており、晏子は父の晏弱と子の晏嬰の2人を意味し、孔子と同じ時代に身を置いた。周の封建制度は〈天意は民意〉の縦糸と、血の親愛の横糸で織られていた。その周王朝の威光が弱まる中、周王に僭越を働いて恥じない野心を発した秦と、周王への礼節は保ち諸国の君主の信望を集めた桓公の誇りに発した斉。それに大国晋と楚という四大国の時代だった。

その中で、斉は晋国の郤克(げきこく)という将軍の醜悪な体系を笑って激怒させ、郤克は晋に訪れる使者の暗殺を計画していた。晏弱の上司はそれを知って自国に逃げ、代わりに晏弱が蔡朝・南郭偃ら一行と晋に向かった。晏弱は仲間を無事に斉に戻し、自ら捕虜となりながら最後は無事に帰国した。斉軍と晋軍が激突したが、斉軍は潰滅した。斉の頃公は晋に謝罪に出掛け、そこで郤克から捕虜となった君主が受ける饗礼に直面して酷な扱いをされたが、感情を押し殺して帰国した後、国の建て直しを図った。衛に亡命していた崔杼(さい ちょ)が斉に帰国した。晏弱に子晏嬰が誕生した。斉の新君主霊公の生母声孟子が国佐を逆恨みしていることを知った崔杼は斉の二卿を罠に嵌めた。どちらにも正義があり、どちらにも正義がない、こういう戦いは、勝った方に正義があたえられると決めた晏弱は1人を亡命させたが、崔杼にも従い、崔杼は謀略を奏功させて宰相となった。