あなたの脳にはクセがある《上》 「都市主義」の限界 養老孟司

2017年6月10日発行

 

・知識というものは、じつは自分を変えるものなのである。たとえばガンの告知を受け、自分がガンであることを知れば、知った瞬間に咲いている桜が違って見える。それは桜が違うのではなく、知ることによって自分が変わるからである。また、自分が去年までどういう気持ちで桜を見ていたかを思い出そうとしても、生き生きとは思い出せない。過去の自分はすでにべつの自分だからである。・・万物はすべて移り変わるというのは、人間が変わっていくからなのである。人間の身体は七年たてば細胞はほとんど入れ替わる。『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」というのは、人間のことなのである。情報はその反対で、ことばはしゃべれば消えるのではなく、テープに録ればそのまま残る。・・しかし、データに異存すれば、データにないことが起きたとき、危機のときは対処できない。・・インターネット社会がどうなるかというのも、そうした問題の一つであろう。だから私は、データ主義で考えるのは半分ぐらいにしておいたほうがいいと思う。過去になかったものがつくり出される時代にあっては、過去の延長、データ主義では通用しないのである。

・脳は、あるていど以上の入力があるものについては、それを現実と認めてしまう特徴がある。したがって、特定の情報が、真偽はべつとしても、頻繁に、あるいは繰り返し脳に入ってくると、それを現実のこと、真実と受け止めてしまう。

ユダヤ教にせよ、イスラム教にせよ、キリスト教にせよ、すべて都市宗教です。・・文教は都市宗教ではなく、自然宗教だと私は考えます。自然宗教は当たり前の話ですが、自然が残った地域に残ったのです。