晏子 第2巻 宮城谷昌光

平成9年9月1日発行

 

裏表紙「太公望以来の斉の悲願、東方の国、莱の併呑。その重責を一身に負った将軍晏弱は僅か五千の兵でそれを成し遂げると宣言した。迎え撃つ莱の智将王湫は一万の精兵を束ね、虎視眈々と斉軍の到来を待ち受ける。圧政に苦しむ敵国の民。彼らの命を何よりも尊ぶ人倫の人、晏弱のとった戦略は凡百の策士には及びもつかぬ大胆なものだった。策略と計略が水面下で激しく交錯する緊迫の第二巻。」

 

斉の霊公は、領土の拡大に意欲を燃やした。北は海、南は山岳地帯と魯があり、西には黄河と晋があるため、東の萊(らい)を攻略するしかない。その将軍に晏弱が抜擢され、蔡朝と南郭偃がこれを助けた。晏弱は蔡朝と南郭偃を招いた席で晏嬰を引き合わせた。晏弱は霊公に萊との戦が長期化する予測を伝えて出師した後、まず築城し攻略に成功した。斉の家臣に萊に内通する者がいると推察した晏弱は奇策に奇策を重ねて、敵将王湫や正興子をいずれも立て続けに破り、萊の宝器を霊公に献上した。長期を覚悟していたものの僅か2年で戦果を挙げた晏弱は霊公から天才であることを確信した。そして晏嬰も思いやりに溢れた治め方の出来る天才だった。同じ頃、鄭に子産という天才がいた。霊公に引き立てられ、嬰が成人するまで、晏一族を率いたのは、晏弱、晏氂(り)、怪力の持主の晏父戎(あんほじゅう)だった。晏嬰の登場は臣民に強烈な印象を与えた。この頃、女性が男装する丈夫の飾りが禁止されてもなかなか徹底できなかった。理由は君自ら宮中で丈夫の飾りを取りやめずに街中だけそれを禁じたからだった。誰も君を諫めることができなかったが、晏嬰は霊公に諫言し乱れを正すことに成功した。この時の諫言が「牛の首を店先に出して実際には馬肉を出す」だった。羊頭狗肉の語源である。斉が魯を攻めている最中、晏弱は死んだ。