晏子 第3巻 宮城谷昌光

平成9年9月1日発行

 

裏表紙「晏弱は死んだ。斉は偉大なる英傑を失った。幼少よりその天才を発揮した息子晏嬰は古礼にしたがって三年に及ぶ篤い服喪に入った。斉は周王朝の意志を奉じて魯の攻略を繰り返す。魯は援軍をもとめ、晋傘下の十二か国の大連合軍が魯のために集結した。襲いかかる連合軍の怒濤の駆塵。軍師も軍略もない斉軍は連合軍の猛攻をどう凌ごうというのか…。話題の歴史巨編、絶対絶命の第三巻。」

 

晏嬰は喪に服した。その間、斉は魯との戦いを中止し、晋との戦いに備えざるを得なかった。

晏嬰の喪は古来のもので、真の服喪だった。まれにみる孝子として人の口にのぼった。斉の後継者争いは激しさを増し、太子光を推す崔杼と公子牙を推す高厚、夙沙衛が争う中、霊公は太子光の廃嫡を決めて公にした。夙沙衛は光暗殺計画を立てたが、崔杼がこれを防いで光を逃がした。霊公が病に伏したところに、医人に扮した光が霊公の下にやって来て、口元に耳を寄せ、霊公は今わの際に再び光に太子の位を与え牙を廃嫡したと宣言し、霊公が亡くなると、すぐに復位し荘公と名乗った。荘公が君主になった頃、晏嬰は服喪を終えた。崔杼は荘公の何でも力づくで事を進めるやり方では人心がなつかないと感じ、国内で尊敬される臣を近くに招くしかないと考えて晏嬰を置いた。荘公は武勇好みが過ぎ、晏嬰は荘公も諫めた。荘公は崔杼の愛妻を奪い、崔杼の目は荘公を殺すと無言で訴えた。上級貴族でありながら晏嬰の日常の粗末な膳は士分の者にこぞって晏嬰の臣下に加えて頂きたいと訴願させた。荘公が即位して6年目に晏嬰の名を不朽のものとした大事件が起こる。晏嬰の度重なる諫言で荘公から大夫の座を追われた。人心が荘公から離れようしたのを感じた崔杼は荘公を殺す計画を立てた。