重耳《中》 宮城谷昌光

1996年9月15日第1刷発行

 

裏表紙「称の孫重耳は、翼攻めに大功をたてた。雄偉な体躯の心穏やかな公子で、狐氏から妻を娶り、その一族の厚い庇護を受けていた。称の死後晋の君主となった詭諸は、絶世の美女驪姫(りき)に溺れ、奸計に嵌まって重耳たち公子を殺そうと謀る。逃れ出た重耳と家臣たちの、辛酸の日々。晋の国内は大きく乱れて…。(全三巻)」

 

曲沃は翼を滅ぼした。戦功があった重耳の周りには明るい話題が多い。郭偃(かくえん)が大夫になった。晋を統一した称は天寿を全うした。次代のうねりが来ていた。秦の15歳の公子から晋の詭諸の娘伯姫25歳をもらいたいとの結婚話が舞い込んだが、詭諸はこれを断った。王都で「子頽の乱」が起きた。詭諸は重耳を連れて兵を出した。戦いの前に勝つが不吉だという占いが出た。27歳の重耳は孤偃の13歳の娘長孤を正婦として迎えたいと孤突を訪ね、父詭諸も了解した。詭諸は晋の公族の桓・荘の傲慢さに頭を悩ませ、士蔿に相談し、桓・荘の力を削いだ。詭諸は気に召した役者の優施を拾い上げ、70歳を超えて20歳にもならない驪姫(りき)を正夫人とした。驪姫は詭諸の子奚斉(けいせい)を産んだ。驪姫の妹も詭諸の子卓子を産んだ。戎狄(じゅうてき)の娘だった驪姫は自らの立場に不安を抱き、奚斉を太子にしたいと考えた。そんな驪姫に近づいた役者の優施は晋への復讐のため驪姫に近づき、驪姫を手懐けて詭諸を思うままに操作した。重耳は蒲という遠隔地に、夷吾も遠い地に飛ばされ、太子申生も元首都の曲沃に追いやられた。重耳に家臣先軫(せんしん)が加わった。亡命の道を選ばずに申生は詭諸の命じるままに狄に攻め入り、次に虢(かく)を攻めさせた。驪姫は3人を都に呼び付け、申生は自ら首を吊った。孝行の道を貫いた申生は中華全土の民に感動を与えた。重耳と夷吾は逃げて生き延びた。重耳を殺すため閹楚(えんそ)が刺客として送り込まれ、間一髪で難を逃れた重耳の19年の亡命生活はここから始まった。孤毛、孤偃、胥(し)臣、趙衰、先軫、魏犨、顛頡(てんけつ)らが従った。重耳は母の出身地の孤氏の集落に落ち着く。重耳は赤狄の姉妹の叔隗、季隗のうち妹の季隗を妻とし、姉の叔隗を独身で人格者の趙衰の妻とした。