重耳《上》 宮城谷昌光

1996年9月15日第1刷発行

 

裏表紙「黄土高原の小国曲沃(よく)の君主は、器宇壮大で、野心的な称であった。周王室が弱体化し、東方に斉が、南方に楚が力を伸ばし、天下の経営が変化する中で、したたかな称は本国翼を滅ぼして、晋を統一したが…。広漠たる大地にくり広げられる激しい戦闘、消長する幾多の国ぐに。躍動感溢れる長編歴史小説全3巻。」

 

曲沃のような辺土の小国の君主にすぎない武公(称の死後の追諡)・称の孫が、重耳であり、この公子は、長くつらい流浪のすえに、中国全土に覇をとなえる英主となる。称は太子の詭諸のために賈の君主の娘賈姫を婦に迎えた。なかなか子が出来なかったところへ、狩猟民族の白狄(てき)の中でも大きな族の狐氏の狐突が多数の配下をつれて交誼を求めに曲沃を訪れてきたので、称は妾をもらいたと狐突に頼んだ。ところが太子は称の妾の斉姜に身籠らせ、婦として与えてほしいと言い出した。称は廃嫡を考えたが、太子を廃すれば室の繁栄は失われると伯父から諭されて廃嫡を断念した。斉姜は称の妾から太子の妾となり女の子を産んだ。称は狐突に正直に打ち明けた。狐氏の宗主は婚姻を快諾した。狐氏には候補となる首長の2人の娘がいたので占ってみると、天下に号令する子を生むという。斉姜が申生を産んだ後、2人の娘のうち姉の狐姫が重耳を産んだ。称は孤突に申生の師になってほしいと頼んだ。孤突は困惑したがこれを受けた。孤突は重耳にわが子の毛と偃(えん)を仕えさせた。周王室の曲沃への偏見を取り除くため称は士蔿(しい)を王都へ送った。入れ違いに畢(ひつ)万がやってきた。卜筮(ぼくぜい)を司る郭偃は雄偉な体躯を持つ畢万を太子詭諸の臣下に推挙した。郭偃は重耳の師となる。畢万が仕えた頃、同じく趙夙(しゅく)が仕えた。東方では斉に桓公が即位し宰相管仲を用いて斉を中国の雄長とする基礎固めに入り、南では楚が牙爪をあらわにして小国を吞み込み始めた。重耳はあざやかな公子像を見せる兄申生と弟夷吾に挟まれ冴えなかった。重耳の家臣団に趙公明の末子趙衰(し)が加わった。後に孤偃と並んで重耳の覇業を大いに輔ける人物だった。称は兵を招集し宿敵の翼を攻めた。称は吉運を齎す気がした重耳を連れて行く。翼の城は巨大な氷の城に見えた。攻めあぐねていたところ、曲沃が空であることを知った虢(かく)公が曲沃を攻めた。重耳に仕えていた孤突の2人子(毛と偃)が城の秘密の出入口を見つけ、翼城を落した。その頃、留守居の申生と孤突は翼の攻撃を察知し、孤突が曲沃を出発すると、白狄の族長らが応援に駆け付けた。