呉越春秋 湖底の城3巻 宮城谷昌光

2012年7月26日第1刷発行

 

子胥らは、父伍奢と兄伍尚を救うべく刑場に向かうが、費無極が待ち構えており、成就しなかった。何者かが子胥らを窮状から救った。宋へ向かう途中、宋の公子子城と出会う。楚の太子建(子木)は宋から内乱のために去り、鄭へ向かっているとのことだった。宋都商丘で子胥らは褒氏の家に身を寄せた。褒氏は申包胥の父の妾だった。楚都で離れ離れとなった徐兄弟や傀、朱毛と褒氏の家の近くで合流した。子胥を窮状から救ったのは賊の頭目旻達だった。子胥は褒氏から託された子の小羊も連れて太子のいる鄭へ向かった。鄭で子木は子胥らを迎え入れ、鄭都から晋へ向かった。子木の師が父の伍奢だったため、子胥は賓客として遇された。子木は晋に出師を願い、援助してもらえるとの約束を得たとして鄭に戻ってきたが、晋との密約が明かされることはなく子胥は疑心暗鬼になった。薬売りの四目が子木の屋敷に訪れ子胥と再会した。四目が言うには道中で無実の者が笞撃されていた。笞を打ったのが子木だという。子木の屋敷は鄭に見張られていた。楚王への復讎を果たすためにはここで死ぬ訳にいかない子胥は今にも襲われるとの危機感を抱いてすぐに脱出した。が子木は殺されてしまった。子胥は呉へ向かう途中、かつて桃永を攫おうとした蘭京に出会う。桃永の夫右祐は蘭京に気色ばんだが、蘭京の船に乗船していた徐兄弟から蘭京が如何なる人物かを告げられ関係は修復した。蘭京は大買人彭乙に桃永の誘拐を頼まれただけで蘭京に他意はなかった。子胥は蘭京が呉王の子でないかと推察した。買人朱旦の歓迎を受け、延陵に季札を訪ねた子胥は季子に風格を感じた。季子から屋敷を贈られ、青桐と再会した。御佐と婚約していた相手だった。子胥が尹礼家の娘伯春と思っていた娘が季札の下にいたが、実はこの娘は伯春ではなく、尹礼の養女小瑰(しょうかい)だった。子胥がかつて結婚を申し込んで断られたのはこの小瑰だった。“美目盼(はん)たり”の詩句が浮かんだ。康王の末女だったがひそかに尹礼に養われれていた。子胥は小瑰を婦とし、御佐は青桐を妻として、呉都姑蘇に向かった。季札の紹介で将軍の公子光を訪ねた子胥は、呉王僚の前に案内された。子胥は公子光に爽邁さを感じたが、呉王僚の前で子胥の楚への進軍案を退けたのが解せなかったが、子胥に嫡子終纍(しゅうるい)を当てた公子光の人柄と才知に感じいって公子光の客となった。公子光のため人材を集めようとして、子胥は、旻達(びんたつ)、鱄設諸(せんせつしょ)、孫武らを集め始めた。彭乙(ほういつ)を訪ねた子胥は桃永を攫おうとした理由を問うた。彭乙はかつて永翁が率いる海賊蛟蛇に襲われて一家の殆どが殺され、その際に生き別れた彭乙の妹が桃永(実の名は明萌)と打ち明けた。楚に囚われていた公子蹶由(けつゆう)は伍奢への恩に報いるため王家の印のついた宝剣に託し、子胥に陰助を惜しまぬと約束してくれた。延陵に戻った子胥は季札に委細を報告し、永翁から贈られた青銅の箱を開けると、中には謎の絵図が記された鞣皮(なめしがわ)が入っていた。徐兄弟に旻達への伝言を命じ、子胥は鱄設諸を訪ねて仕官を誘い、孫武の待つ斉へ向かった。