呉越春秋 湖底の城2巻 宮城谷昌光

2011年7月26日第1刷発行

 

帯封「戦うために生きるのではない。生きるために戦うのだ。奸臣・費無極が、父と兄を処刑する前夜、伍子胥は、楚の都に潜入する。希望はあるのか。」「楚は内憂外患に激動する。待望の第二巻! 楚の人、伍子胥は、呉との国境近くの邑・棠を治める兄・伍尚を助け、配下に逸材を得る。ある日、呉の大船団二万五千が江水をさかのぼり、楚はこれを迎え撃つ。いったんは勝利を収めたが逆襲を受けて楚は敗北した。翌年、楚王は、太子建の妃として迎えるはずだった秦の公女を王妃とする。太子は楚都から遠ざけられ、伍子胥の父・伍奢は太子に仕えていたため王宮に召還され拘留される。すべて佞臣・費無極の奸計によるものであった。「なんじしか仇討ちをする者はいないではないか。われが死んでも、伍氏の家名をなんじが保てばよい。なんじの才知は、われにまさる。なんじによって伍氏の家名は天下に知られることになろう」と伍尚は微笑をまじえていった。子胥は落涙した。」

 

漁師の家を燃やしたのは海賊だった。漁師は蛟蛇という。海賊の頭かもしれなかった。屯と桃永も海賊に狙われたため、子胥は、兄から杞尚、朱毛、矛戟の名手徐初・徐伏、傀の力を借り、山賊を捕らえた。山賊らを邑外で斬首したことにし、海賊を追い返し、山賊らを子胥の協力者とした。右祏は桃永を娶り屯を連れて3人暮らしを始めた。呉の大船団が江水をさかのぼり、迎え撃った楚は初戦は勝利するものの、次に敗れた。呉の将公子光と楚の令尹との器量の大小は明らかだった。翌年、楚王は、太子建の妃として迎えるはずだった秦の公女を王妃とする。これは自分を冷遇する太子建への費無極の復讎だった。楚王は自らへの非難を回避するため確実に勝てる濮への征伐に向かう。太子は楚都から遠ざけられ城父に遷された。伍尚は徐兄弟と傀を父と太子のために遣わした。費無極の陰謀で子胥の父伍奢は太子と引き離すべく王宮に召還され拘留される。樊了は楚の霊王への仇討ちを心に秘めていた。樊了は善政を顕現した季札に仕えていた。樊了は霊王の寵臣が連尹の伍氏から嫡子伍尚を人質に預けられ伍尚が治める棠に赴いたというのが真の経緯だった。楚の王は太子を誅殺するため奮揚を遣わした。太子は宋に亡命した。費無極は伍氏の2人の子が英明のため太子の手足をもぐために2人が参内すれば父を赦すと言っておびき寄せることを楚王に献言する。伍尚は我は楚王に参内し、汝は逃げて仇討せよと言い、兄弟は涙の別れをする。子胥は残った者を集めて自らは父と兄を救うために死地に赴くので直ちに国外へ退去せよというが一人も去らない。桃永は夫の右祏を加えてもらいたいと言い、樊了の妻も伍子胥の話を聞き楚都で潜む家を用意すると言い、皆子胥と行動を共にした。樊了の妻が季札の養女であると聞き子胥は驚く。季札は呉王をしのぐ盛名を持つ公子でいつでも呉王になれる人物だった。子胥は、途中、才松、樊了と出会い、隠れ家の申包胥(しんぼうしょ)に向かった。家宰の黄侑は申すら知らない褒氏の家に子胥を匿った。右祏、御佐、陽可、徐兄弟、傀、朱毛、杞尚、樊了が集まった。嶽半の家にいる季札の知り合いの加賀に子胥は挨拶に行った。加賀との対談に祭林が同席した。加賀(観従)も祭林も楚王室へ並々ならぬ恨みを抱いていた。救出劇は失敗した。父から可擁太子との矢文が届く。同時に父と兄を明朝公開処刑するとの話が伝わる。子胥は杞尚と樊了は呉へ行くよう命じ、それ以外の者にはそれぞれの判断に委ねた。