呉越春秋 湖底の城1巻 宮城谷昌光

2010年7月26日第1刷発行

 

帯封「春秋から戦国へ、中国史上もっとも苛烈な時代に若き伍子胥(ごししょ)は己れの道をもとめた!「三国志」の時代から遡ること600年あまり、ついに、あの呉越の人間ドラマが小説化!」「江水流域を舞台に描く、中国歴史小説の新境地 待望の第1巻! 伍子胥は、父に向かってまっすぐに言う。「善をなすふりをして悪をなすことほど、悪いことはないとおもいます」 父・伍奢は思った。「この子を教えるのは、人ではなく天だ」と。豊かな水をたたえる長大な江水の流域で、春秋時代後期に覇権を争う、楚、呉、越。楚の人、伍子胥は堂々たる体躯で将来を嘱望される青年である。父は、王に重用され要職をつとめる。伍子胥は、呉との国境近くの邑・棠を治める兄・伍尚を助けるため船に乗り、江水を往く。強い信念をもち、父兄を尊敬する伍子胥は、地位や身分を越えてさまざまな人と出会い、歩むべき道を探していた。」

 

楚の伍子胥(ごししょ)は父伍奢の次男である。長男は尚(しょう)といい、棠君(とうくん)と呼ばれた。楚の名君荘王の子である共王には5人の子があったが、皆凡庸で後嗣を自身できめかねていた。5番目の平王は2人の兄と狂暴して霊王を自殺に追い込み、協力者の2人の兄も自刎させて自ら王位に即いた。子胥は船を失って困惑している者がいるのに、費無極が二艘で済むところ三艘引き連れようとしたので、その理由を示されたいといったが、むしろ王に背く者であるとして捕らえられようとした。結局伍子胥は、御佐、右祏の他、船場で雇った才松を連れて棠まで歩いて行くことにした。途中まで賈人である范氏の家中の者の開と従者臼と一緒だったが2日目に別れた。兄の伍尚が迎えに来てくれた。才松は去り際に、伍尚は、四方に見張りをつけ、怪しい者を発見して役人に報せた場合、1年間賦税を免除するとよいと助言するとともに、子胥に楚王と呉王の違いを問うた。子胥から天命の発祥を聞くと、天とは周王室が創ったものですかと雷に打たれたような表情を見せた。父の伍奢は太子の師となり、費無極は小師となった。子胥は伍尚に武道大会を開き武術の達人を召し抱えるよう助言し、開と臼に橘50株の移植を頼んだ。樊了(はんりょう)と合わない子胥は伍尚に樊了を都に推挙すべきといった。移植も無事済み、武道大会も準備も整ったところで、樊了が都に遷ることを子胥に伝えた。子胥は樊了に父を支えてくれ、それが楚の未来を護ることになると頼む。準優勝の壮年剣士崔希に伍尚の客になってこの地に留まってほしいと頼むが、優勝者に勝つべく工夫をせねばならないのでそれがついたら寄るとの返事だった。矛戟(ぼうげき)の決勝に進んだ2人とも伍尚の客となり、弓術大会の優勝者陽可は子胥の客となった。陽可は恐らく弓矢の名手養由基の子孫と思われた。陽可は楚王への復讐のために近づこうとし、占い師により弓矢大会で長につくのでなく次につくと吉となると言われていた。子胥は力比べ大会の呉人の優勝者鱄設諸を友とし、準優勝の傀を客とした。あと一人、朱毛という視力の優れた者を客とした。兵法家の孫武が邲の戦いのことを伍尚に聞きたいと子胥に願い出た。子胥は漁師と共に生活している最中に鱄設諸と出会い、呉は前王の喪が明けた翌年に楚を攻めるべく準備していることを知った。費無極と親交のある鄢将師(えんしょうし)が伍尚の下にやってきて、武道大会で武辺の者を召し抱えたことは呉に通じて謀叛を企てる兆しであり、15日以内に主催者の首を差し出せと難癖をつけてきた。弓矢の名人陽可に鄢将師の暗殺を頼もうとした子胥は、陽可から鄢将師と費無極を頤で動かせる人物子常なら2人を説得できると聞かされ、急遽使いを出した。期限の前に2人は帰国した。陽可の使いが間に合ったか、樊了が気を利かせたかのどちらかで救われた。漁師の家にいた子胥を複数の刺客が襲った。狙いは漁師の家にある青銅の箱だった。漁師は孫の屯と息子の嫁桃永とともに子胥に託し、自分は息子の所へ行くという。子胥は棠邑に屯と桃永を連れて戻って、兄伍尚と再会した。