呉越春秋 湖底の城7巻 宮城谷昌光

2016年9月27日第1刷発行

 

帯封「その男、范蠡(はんれい)- 越王句践(こうせん)にも“ある男”がいた。知られざる、古代中国の血湧き肉躍る物語。」「謎多き人物、范蠡(はんれい)。ついに彼の物語が始まる。待望の第七巻! 楚の出身である范蠡は12歳の時、家族と住居を盗賊の襲撃により失う。彼はちょうど供の者とともに魯の施氏を訪れていたため、難を逃れた。范蠡らは、父の親族の范季父がいる越の会稽へ移り住む。その後、范蠡は計然のもとで学び、ここで親友の種(のちの大夫種)を得る。二人は20代なかばにして太子・句践(こうせん)の側近となる。国主が没し、喪に服していた句践。呉が攻め入ってくるという風聞を耳にし、范蠡らに真相を確かめさせる。風聞が真実で、ついに戦となる。越は奇襲を重ね、勝利。闔慮のもとで栄えた呉は、名君を失い衰退へと向かっていく。越では范蠡が戦いの成果を認められ、句践の片腕となっていく。」

 

宛の范蠡(はんえい)は、12歳の時、強盗団に襲われ、家族を失う。供の開、臼、雀中とともに施氏を訪れていたことから難を逃れた。旅に出る前日、范蠡は父から完成した黄金の楯を見せられたが、帰って来た時には強盗にそれも盗まれていた。范蠡らは、父の親族の范季父がいる越の会稽へ向かった。范蠡は18歳の時に計然に就いて学問に専心した。親友の種(のちに大夫種と呼ばれる)とともに20代なかばに太子句践の側近となる。越の君主允常(いんじょう)が薨じ、20歳過ぎたばかりの嗣子である句践が即位した。喪に服した句践は、呉が越を攻めてくるとの風聞が宮中に舞い込み、范蠡と大夫種に確かめさせると、真実だと分かり、戦いに向けた準備を整え始めた。范蠡は孫氏の兵法を読み学んだ。兵力で劣る越は、奇襲を繰り返し、3度目の奇襲策は越兵が先陣の前で自刎するというものであった。越が降伏してくるのではないかと思った呉軍の足が止まったところ、越軍は呉王のみに狙いを定めて越君自ら長躯して本営を急襲し、見事、呉王を戦死させて勝利を収めた。呉王闔慮の下で栄えた呉は名君を失った。勝利を収めた越は范蠡に戦いの成果で邑を与え、大夫となった。范蠡は自らの邑を治めるために行政能力に長けた者の推挙を師の計然に求めた。師は樊了の三男樊重を推挙した。諜候を監督する権の譲り渡された范蠡は白斐と祝言をあげた。その当日、生まれたばかりの商家施の娘西施が王の妾妃となり宮中に入った。呉の報復が予想できた范蠡は句践に呉軍の攻撃を防ぐより奇襲をかけるべく献言した。呉と越の諜報戦は熾烈の様相を見せ始めた。