呉越春秋 湖底の城6巻 宮城谷昌光

2015年9月16日第1刷発行

 

帯封「復讎せん! 遂に呉と楚の戦いが始まった。伍子胥の積年の願いは叶えられるのか。知られざる、古代中国の血湧き肉躍る物語。」「呉と楚、互いの命運をかけた戦いの火ぶたがついに切られた。待望の第六巻! 孫武を迎え入れた呉は、迫り来る大戦に向けて準備を進めていた。その一方、楚では令尹子常が実質的な国の運営を行っていた。傲慢な子常のやり方に不満を持った盟下の蔡と唐は、密かに楚を見切り、呉側についた。孫武伍子胥はこの戦いをなんとしても勝ちきることを誓い合う。そしてついに呉軍は楚都へ向けて軍を出発させる。呉軍と楚軍は正対し、一進一退の戦いを続ける。そんな中、呉王闔盧の弟、夫墍(がい)が抜け駆けをし、楚軍を撃退する。そのような弟の動きを苦々しく思う闔盧は、孫武の教えに従い夫墍を罰しないことにするのだが―。中国戦史上、特記される戦いの行方は。そして伍子胥の復讐は果たされるのか。」

 

楚王に父と兄を殺された子胥は楚を恨み、復讐を誓い、呉王闔閭(こうりょ)を助け呉を強化した。小国・蔡の君主昭侯は楚の重臣子常から楚王への贈り物と同じ物を要求され、断ると帰国できず足止めされた。昭候は晋に助けを求めたが、晋の重臣も貨を要求し、昭候は失望する。昭候は呉に助けを求め、呉王は出師を決断し、子胥は積年の願いを果たす機会を得た。子常の油断の隙をついて孫武伍子胥は大別山の戦いを勝利し、死地とも言うべき柏挙での戦いに呉王闔盧の弟、夫墍が功を焦り抜け駆けして突撃を開始した。已む無くそれに続いて呉軍は快進撃を続けると、子常は戦場から逃れて亡命した。最後の砦の自覚を持っていた沈尹戍が呉軍を迎え撃ったが、前のめりになり過ぎ退路を断たれていることに気づかず、深手を負い遂に味方に自らの首を刎ねさせた。楚軍は潰滅し、呉軍は楚都に雪崩れ込んだ。楚王は水路を逃亡した。その行方を探そうとする最中、永翁に再会する。伍子胥は仇は楚の平王であることから、その墓から遺体を白日の光にさらし、300回の鞭打ちにより父と兄の恨みを晴らした。が、満足感とはかけ離れた虚しさに苛まれた。そこへ、かつて楚の臣だった子胥の行動は許されないとして子胥を襲う楚の武装集団が現れたが、子胥の臣下とかつて舞踏大会で剣の優勝者の左龍に救われた。随に逃げ込んだ楚王を呉王は赦した。これに反発した楚臣の申包胥(しんぽうしょ)は茨荊(しきょく)の道を選んで秦に行き、3日3晩不眠不休で秦王に訴え続けて楚への助力を約束させる。越の君主允常(いんじょう)が呉の国境を犯して侵入してきたが、病にあった孫武が既に愚息に事態を予想して手を打っていた。わずか二百の兵で一万の兵を退却させた。孫武は没する前、呉王の弟は主人を嚙む獰猛な犬であり法に照らして処罰するよう助言した後、楚から呉に向かった。呉王の弟は楚に調略され勝手に呉王を名乗り、大破されると呉を出て楚に亡命した。子胥の婦小瑰は逝去し、孫武や呉王の太子終纍(るい)も病没した。終纍の子の夫差が後継となり、越の允常が亡くなった。