2012年7月26日第1刷発行
帯封「戦いの時!復讎に燃える伍子胥は、参謀として楚との戦いに臨む。『三国志』より六百年前、心躍る物語。」「伍子胥の敵は、楚王だけではない。待望の第四巻! 楚王を伐つ。これが伍子胥の生涯の主題である。祖国を追われた子胥は、楚の太子・子木の亡命先である鄭に入る。しかし子木は滅ぼされ子胥らは鄭を脱出、呉へのがれて将軍・公子光の賓客となった。一年半が過ぎ、子胥のもとに公子光の使者として鱄設諸が訪れる。参謀として楚との戦いに力を貸して欲しいと。そして楚との本格的な戦いが始まる。楚軍を主力とする連合軍は呉軍の二倍の兵力を持っていたが、子胥の進言と公子光の戦術によって大勝をおさめた。ところがその功績ゆえに公子光は、王位をおびやかす存在とみなされ、危険は将軍家の臣下や子胥にもおよぶ。」
将来のために褒小羊を兵法の師・孫武に託し、臨淄を経由して呉に戻った子胥は、呉の将軍公子光の使者として鱄設諸を迎え、楚への出師・帷幄に加わってほしいとの要請を受けて出師した。永翁の地図の場所は鱄設諸によると玄門とのことで、干育の協力を得て地図の指し示した場所で棺を見つけ、何者か不明だったが子胥は子の骨と黄金の塊を埋葬した。呉への侵攻を企てた楚の軍を公子光は後方から襲い呉は大勝するが、公子光の勝利は逆に呉王と公子光との関係悪化に繋がった。そんな折、越の臣胥犴は子胥を訪ねて越へ招聘し重職を約束したが、子胥はこれを断った。予想以上に王と公子光に嫌隙があり、公子光の嫡子終纍(しゅうるい)から相談を受けた子胥は心を決め、公子光を生かすためには呉王を殺すしかないと決断する。そのために黄金の楯を作るべく鱄設諸に依頼して宛にいる范氏のもとに赴かせる。鱄設諸は范氏から楯の出来上がりは明年晩秋になると聞かされ、一旦、呉へ戻る。范氏には息子の范蠡(はんれい)がいた。四目から楚王平が亡くなったと聞き、仇を取るとの志を果たせなくなったことを悔しがった。黄金の楯が出来る前に呉王と公子光の対決は決定的となり、呉王は季子を外遊させ、公子光の邸を訪ねて公子光の謀殺を企てた。公子光は地下に兵を隠して対抗しようとしたが、呉王にその刃は届かない。子胥と公子光は鱄設諸を暗殺者に仕立て料理を運ぶ膳夫を装わせて魚から抜いた刃で呉王を殺害させた。呉王が亡くなっても呉王の軍が公子光をすぐに襲い掛かると予想した子胥と公子光だったが、呉王側が油断して追撃を翌日に延ばしたためにその間隙を縫って夜襲を掛けて、その際、一計を案じた。後方から鉦を鳴らしながら“奇襲だ、逃げろ”と声を上げさせると、狼狽えた呉王軍は自壊し逃げ去った。多くの血を流がすことなく公子光が実権を握ることに成功し、季札もそれを認めて公子光は即位して呉王闔閭となった。