奇貨居くべし2 火雲篇 宮城谷昌光

 

2002年2月25日初版発行

 

裏表紙「秦の始皇帝の父ともいわれる呂不韋。一商人から宰相にまでのぼりつめたその波瀾の生涯を描く。生家を出て、韓、魏、趙、秦、楚と旅を続ける呂不韋。「和氏の璧」の事件を経て、藺相如、孫子孟嘗君ら乱世の英俊と出会い、精神的に大きく成長する。第二巻火雲篇では、呂不韋の青年時代を描く。」

 

藺相如は呂不韋に病が快癒したら邯鄲にもどるようにいい呂不韋を召喚した。秦軍が将軍に白起を立てて藺邑を攻めた。捕虜となり呂不韋は雉(ち)という少年と共に穣へ連れて行かれた。呂不韋は、孫という男と知り合った。姓名は荀況(じゅんきょう)といい、荀子から多くを学んだ。戦国末期にあらわれた思想界の巨人である。魏冄が突如趙の宰相となった。秦の昭襄王は慌てた。魏冄を秦の宰相に復位させ、陶を与えた。魏冄は楚を滅亡させるとはっきり言った。呂不韋は秦の輜重兵の中にいた。楚軍がこれを襲い、黄歇の臣下と出会う。黄歇は成長した呂不韋と再会した。戦場でゆとりを感じたのは黄歇ただひとりだった。黄歇は呂不韋に武人の桑衣をつけた。呂不韋は少女の小環と再会した。桑衣が別れの時に栗(りつ)をつけてくれ、呂不韋は小環と共に東へと向かい、寿春にいる春平という買人を訪ねた。春平は不在だったが、客人の唐氏と出会う。唐氏は唐挙といい、希代の人相見で、倓慶(たんけい)に対し、呂不韋と小環について、呂不韋は35年以内に位人臣を極めるといい、小環には至上の色が見え隠れしていると述べる。唐挙は訪れた客人の席に呂不韋を同席させ楚は大敗すると述べた。呂不韋は超絶した美しさを持つ南芷と出会った。唐挙には南芷が王后になる姿が見えていた。小環は唐挙が預かることになり、呂不韋は唐挙から伯紲(はくせつ)に金を届けるよう頼まれた。倓慶は子胥に弟子の一人で高告の子の高睟をつけた。伯紲は慈光苑にいた。そこで孤児や寡婦等を養っていた。そのための金を唐挙は呂不韋に持たせたのだった。ここで農学者の黄外と出会い、一人の老人に気に入られた。ここで雉とも再会した。老人は薛(せつ)公(候)とも呼ばれる孟嘗君であった。斉の王族のひとりである田嬰が封ぜられた地の薛の2代目で、食客数千人をかかえ、諸侯を憚畏させる天下の実力者であった。斉と魏と秦で宰相を務め、いずれの国でも一度も侵略戦争を行ったことはない。呂不韋には客の中で最上位の代舎が与えられた。呂不韋は薛に一年おり、ここで成人になった。実家を出てから五年が経っていた。1年ぶりに子胥に会えると思って追い掛けてきた小環が突然行方が知れなくなった。捜索途中で、孟嘗君が薨じたことを知った。