語録 人間の権利 日本ユネスコ協会連盟 『語録 人間の権利』翻訳刊行委員会(その2)

昭和四十五年十一月二十八日 第一刷 発行

 

日本人が登場する、後半部分のうち、更にその前半部分(前回は前半部分のみ)。

 

王地に生たれば、身をば随へられたてまつるやうなりとも、心をば随へたてまつるべからず。

(二六〇)日蓮『撰時鈔』(一二七五)

 

国家を最大絶対の存在と考え、その国策の線に沿うことが義務だという考え方をとらないアティチュードをつくることが、今後の教育の義務だ。

(二七七)清沢洌『日記』(一九四四年一二月二日)日本

 

正義が行なわれるために

五に曰く、あじわいのむさぼりを絶ち、たからのほしみを棄てて、明らかに訴訟を弁めよ。

七に曰く、人おのおの任あり。

八に曰く、群卿百寮、早く朝りて晏く退でよ。公事鹽なし。終日にも尽くしがたし。ここをもって、遅く朝るときは急なることに逮ばず。早く退るときはかならず事尽くさず。

 十に曰く、こころのいかりを絶ち、おもてのいかりを棄てて、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。かれ是とすれば、われは非とす。われ是とすれば、かれは非とす。われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、詎かよく定むべけんや。

 十七に曰く、それ事はひとり断むべからず。かならず衆とともに論うべし。少事はこれ軽し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮びては、もしは失あらんことを疑う。ゆえに衆と相弁うるときは、辞すなわち理を得ん。

(三七一)聖徳太子『十七条憲法』(六〇四)日本

 

カジ(裁判官)の役職

一七世紀日本の重職板倉重宗の下した決断

(三八六)新井白石『藩翰譜』(一七〇一)日本

 

主権は、国家の本体より論ずれば、国民に在るべきものなり。然るに時代と場合に依り、帝王に帰することあれども、国民の知識の発達と国運の進歩に従ひ、終局は主権は国民に帰すべきものなり。……日本は二千五百年間主権は天皇に在れども、将来数百年の後に至り、国運の変遷に従ひ、国民挙つて君主政体を改めて民主政体と為さんと欲する時には、国民の希望に従ひ、主権は国民に帰せしめざるべからず。

(四二六)馬場辰猪(一八五〇―八八)『金子堅太郎自叙伝』日本

 

およそ不義敗徳の社会の裏面に行はるる間はなお邦家の幸いなり。今の社会のごとく至るところ公然と表面に行はれて、行う者は恬として恥じず視る者は常時として怪まざるにおいては、たとい文士の筆を軛するとも、百世の下いかにして永く歴史家をあざむくべきをうをうべき。一文士の一製作を禁ずるは容易になしうべく、衆文士の筆をことごとく覊束するもまた容易になしうべし。秦皇を学んで書を焚き文士を坑にするもまたなし難きにあらず。ただそれいかにして満天下の耳を聾し眼を盲し、もって全く視聴するなからしむることをうべき。

(四五九)内田魯庵(一八九六―一九二九)『「破垣」について』日本

 

大西 祝(一八六四―一九〇〇)『批評心』日本

 

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。

(五一九)福沢諭吉(一八三四―一九〇一)日本

 

阿闍梨叡実は延暦寺の緇徒なり。円融天皇御邪気に依り殊に勅喚有り。(……)仙宮に参る途中、出ださるるの病者有り。辛苦叫喚す。叡実車を下りて病を看る。勅使譴責す。叡実曰く、「菩提の外に求むる所無し。今生の事を思はざるに依りて、上に天子無く下に方伯無し。(……)無縁の病者を出す、もつとも忍び難き所なり」と。遂に留まりて敢て参内せず。

(五三一)『続本朝往生伝』(一〇世紀末)日本

 

不平等の弊害

上みなければ下を責め取る奢欲もなし。下なければ上に諂い巧むこともなし。故に恨み争うこともなし。上に立ちて転道を盗みて上に盗の根を植る者なければ、下にありて貨財を盗む者もなく、上み法を立て下を刑罰することもなし。……上に立ち不耕にして衆人の直耕を責め取り、貪り食いながら礼楽音曲に遊戯して女色に溺るる者なければ、下に伏して之を羨み酒宴遊興して売女に溺れて、みだりに禽獣の業する者なし。……金銀銭の通用なければ上に立ち富貴栄花をなさんと欲を思う者もなく、下に落ちて賤しく貧しくわずらい難儀する者もなし。

(五三三)安藤昌益(一七〇三―?)『自然真営道』日本

 

ひっきょう人間は根本のところに尊卑あるべき理なし。

(五三四)西川如見(一六四八―一七二四)『町人嚢』日本

 

修道院長はどうあるべきか

人間と言ふものは、上天子より下万人に至るまで、男女の外別種なし。然るを上下に分ち夫々の位階を立、又四民の名目を定しものにして、人なることは同じ人なり。

(五三九)杉田玄白(一七三三―一八一七)『形影夜話』日本

 

熟読吟味したいものばかりだ。