次郎物語(第一部) 下村湖人

1964 年 9 月 1 刷 1987 年 5 月 62 刷

下村湖人の自伝的小説。

 幼い頃に里子出され、乳母のことを好きになるが、ある時から実家に連れ戻される。母と祖母は長男と三男を可愛がり、負け嫌いの次郎を差別する。特に祖母の差別的対応はひどく、おやつを上げるのにも長男と三男には上げるのに次郎にはくれない。そんな家が次郎は好きでない。そのため乳母に時々会いにいく。それでも、父は次郎を平等に見てくれるので、次第に次郎は父を好きになっていく。が、父は週末にしか帰ってこないので、寂しい思いをする。ある時、祖母が持ち帰った羊羹の入った菓子折りを見て、どうせ自分に分け前がもらえないなら捨ててしまえと下駄で踏んづけてしまう。それが見つかり大変に次郎は叱られるのだが、父親はどうして次郎がそんな行動に及んだのか本人から聞いたのか想像したのかまでは書かれていないので分からないが次郎をこっぴどく叱ることはしない。

 小学校が古くなり建替えをすることになり、校番だった乳母の家族たちの行き場がなくなり、次郎と離れ離れになる。そして今度は家の中の物が他人に売られることになる。その当日次郎は誰が買っていくのか目撃する。そして正木のおじいさんに引きとられ、新しい生活が始まる。そして週末に4里離れた実家に遊びに行くというのが習慣となる。母は次第に次郎にも優しくなり、兄も弟も次郎に親しみを感じるようになる。また父に会える楽しみが最大だった。

 小学6年生になると、次郎も世間のことが少しずつ分かり出す。ある時、母が病気になり、正木の家に引っ越して、母を看病せよ、母に気をもますなと父から厳しく釘を刺される。その言葉を次郎は感情、理性、意志をもって受けとめた。このとき「複雑な人生に生きていく技術を意識的に動かそうとする人間への一転機が」「はっきりと彼の心にきざしていた」。次第に成長していく次郎の姿を母はじっと見つめていた。時に兄と弟が母の下に来ることもあったが、次郎はいつも母のそばにいた。母は愛情たっぷりに涙目で次郎を見つめる。以前の母の顔とは違っていた。亡くなる直前、叔母が駆けつけ、叔母と次郎に母が謝る。「子どもって、ただかわいがってやりさえすればいいのね」「わたし、それがこのごろやっとわかってきたような気がするの。だけど、それがわかったころには、もう別れなければならないでしょう」。母は亡くなる。長いあいだの次郎の猜疑心を取り除いたのは、彼の生命の根である母の、真実のこもった、わずかの涙とことばとの結果でなかったとだれがいえよう。

 幼少期から小学校6年生までの次郎の成長ぶりを描いた小説だが、大人が読んでも心が揺さぶられる。むしろ大人が忘れていたものを思い出させてくれる大事な何かを、しんしんと伝える、訴える小説として読んでもよいくらいだ。