川あかり1⃣ 葉室麟

2015年2月1日第1刷発行

 

伊東七十郎は、大雨で川止めとなった巨勢川の側で立っていた。そこに浪人の豪右衛門が現れ、彼に連れて行かれた木賃宿には、病人の佐次右衛門、孫の五郎、おさとがいた。豪右衛門は、金が無くて困っている彼らに少し金を恵んでやれと言い、七十郎は嫌々僅かな金を渡した。豪右衛門は更に佐次右衛門の薬代として一両が必要だと言った。豪右衛門は、佐次右衛門はもとは村の庄屋だったが、大水のため堤を切り洪水で村が全滅したため村人を自腹で救おうとしたが破産して病に倒れて今に至っていると説明し、七十郎は一両を出した。深夜、七十郎が刀の手入れをしていた処を同宿者のお若に見られ、豪右衛門から人を斬るのかと尋ねられ、自らが負っていた使命を打ちあけた。すなわち七十郎は人を斬った事もなく武芸も出来ないが藩一番の臆病者だが、10日前の深夜、元勘定奉行の増田惣右衛門に呼び出され、臆病者であるが故に相手も油断して事を成し遂げられると命じられたのだった。当時、藩は七十郎の属する中老稲垣頼母派と家老甘利典膳派が対立しており、七十郎は頼母の17歳の娘美祢を見るだけが楽しみで頼母の屋敷に出入りしていたが、頼母が何者かに暗殺されて派閥の領袖は元勘定奉行の増田惣右衛門がなったが、それに不満を持つ若党が切腹覚悟で寺に籠り、藩主の叔父を担ごうとしているが、増田が言うには、若党は甘利に騙されている、甘利は大阪の商人から賄賂を受け取り大量の書画骨董を国内に隠しており、それが明るみになる前に証拠品を隠蔽するため帰国途中にあるので、その隙を突いて七十郎に甘利に暗殺を命じたのだった。七十郎は増田から役目を果たせば美祢と縁組させ稲垣家に婿入りさせると約束し、七十郎は美祢に手紙を書くと、美祢が現れ、七十郎に自分が自害して若党を救うと言い、美祢のために七十郎は刺客の話を引き受けた。この話を聞いた豪右衛門は、誰かが貧乏くじを引くような話はおかしい、この世の苦は皆で分かち合うべきだと言う。七十郎の心には豪右衛門の話がしみたが、七十郎には父から伝授された秘密があった。しかし七十郎はそれを使うつもりはなかった。臆病者だが卑怯者になりたくなかったからだった。そうこうするうちに、血まみれの斧を持った大男が宿にやってきて妻を出せと凄んだ。妻は屋根裏に隠れていたのでした。男はおさとを人質に取り、妻に出てくる様に言いました。人質を取った男を宥めようと、妻は男の前に姿を現し、二人で死のうと言うと、七十郎が棒手裏剣を繰り出して斧を持つ腕に命中させた。