歴史探偵 昭和の教え 半藤一利

2021年7月20日第1刷発行

 

半藤さんの未収録エッセイ集第2弾。

孟子』から出た言葉、として「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」をあげ、武田節の「人は石垣、人は城」の出典とする。

『海舟座談』にある「機は感ずべきもので、言うことの出来ず、伝達することの出来んものです」を文賞で言い表せぬものとか悪戦苦闘していたところ『呉子』に辿り着いたとのこと。

呉子曰く、凡そ兵に四機あり。一に曰く気機、二に曰く地機、三に曰く事機、四に曰く力機なり」。

風林火山」という四文字は中国の文献にはなく、和製の現代小説の題名としてつくられた。勿論、『孫子』には「疾如風除如林侵掠如火不動如山」とあり、これが元。

明治時代の文豪・学者は言葉を沢山作っている。漱石(新陳代謝、生活難、世界観等)、鴎外(交響楽、詩情、空想、民謡、女優等)、北村透谷(情熱)、坪内逍遥(義務)、国木田独歩(雑木林)、福沢諭吉(自由、演説等)、志賀重昂日本アルプス)等々。先覚者たちの造語能力に比べて時は下って現代になるとどうかしらんという筆者の感慨が面白い。

「ケンゲンガクガク」は誤用。正しくは「喧々囂々(ケンケンゴウゴウ)」「侃々諤々(カンカンガクガク)」。坂口安吾も誤用するくらいだから間違っても仕方ないか、と。

「ドッコイショ」は「六根浄」(六根清浄を略すと)。

「欠席」は「缼席」が正しい。案内状が来るたびに「缼席」と直して送り返しているとの事。

漱石の龍之介と久米正雄宛ての手紙には「世の中は根気の前に頭を下げることを知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです(中略)牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません」。徒然草にも、芭蕉にも同様の言葉あり。

第2弾も面白かったです。どの章も言葉のウンチクが凄い。学ぶところ多々ありです。2・26事件について取り上げた章は歴史考察としても面白いです。松本清張の史観に更に一歩加えた感がありました。