彼岸過迄 夏目漱石

昭和27年1月20日発行 昭和43年5月10日26刷改版 昭和53年11月30日43刷

 

1910年に大病を患った漱石の復帰後初の長編小説。複数の短編を一つの長編とした。

彼岸過迄』のタイトルの由来について、漱石は冒頭で「彼岸過迄」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名付けたまでに過ぎない実は空しい標題である、と書いている。

 

「風呂の後」

大学卒業後も仕事に就けない田川敬太郎は仕事探しで奔走する日々に少し疲れていた。そんな時、同じ下宿に住む森本と話をする。森本は様々な仕事を経験しており、興味深く森本の話を聞いていた敬太郎だったが、ある時森本の姿が見えなくなる。森本は家賃滞納のまま行方をくらました。敬太郎宛の森本の手紙には森本がいなくなった経緯や森本の残したステッキは敬太郎に使って貰って構わないと書かれていた。

 

「停留所」

敬太郎の友人の須永は、軍人の子ながら、軍人が大嫌いで、法律を修めるものの役人や会社員になる気がない。須永には為になる親族が沢山おり、出世の世話をしてくれるが須永は断っていた。ある日、敬太郎が須永を訪ねると、一人の女が須永の家に入るのを見て、須永と女の関係は何だろうと妙に気になった。敬太郎は家に入るのを躊躇っていると、2階の障子から須永に入るよう促された敬太郎は実業家の叔父の紹介を頼む。須永は仕事の確約はできないと言いつつ、叔父の田口要作を紹介してくれた。田口となんとか会えた敬太郎はどんな仕事でもやるというと、数日後、田口から速達が届き、今日4時から5時に小川町の停車場を40歳ほどの男が降りるので、その男が電車から降りて2時間以内の行動を調べて報告してくれと言われる。男の特徴は眉と眉の間に黒子があるとのことだった。指定の5時過ぎても男が現れなかったが、敬太郎は一人の若い女が気になってその場に残った。電車が停まって出てきた男は特徴を備えていたので敬太郎は2人の後をつけた。電車の中で女は離れてしまい、男と一緒に終点で降りると、男は車引を捕まえたので、敬太郎も一台雇うが、車の中でステッキを突っ張ったまま、雨の中で男を見失ってしまった。

 

「報告」

前日の報告をするため敬太郎は田口を訪ねるが、5時過ぎでも調査を継続したことを手厳しく遣られたため、若い女が気になったことを正直に告白した。田口は男と女の関係をどう思うか敬太郎に尋ね、敬太郎は分からないと答え、名前を聞かれても同じように答えた。正直なところに敬太郎の美点を認めた田口は、敬太郎に松本恒三宛の紹介状を書いて渡した。田口から教わった住所を訪ねた敬太郎は、雨の降らない日にまた来てくれといわれ、翌日再度訪ねると、男は田口の義理の兄で、松本といい、女は田口の長女の千代子だった。松本は田口に悪態をつき、自らを高等遊民と称して財産だけで暮らす生活を送っていた。それでも妻子のいる家庭的な生活を送っていることに敬太郎は不思議な感覚を覚えた。敬太郎は田口から頼まれて昨日後をつけたことも正直に話すと、松本からは連れの女は高等淫売だと伝えてくれといわれ、返事に困っていると、松本は田口との関係を初めて語り、松本が田口に悪態をついた理由を敬太郎は初めて知る。

 

「雨の降る日」

敬太郎は田口の家に出入りすることが許され、千代子を紹介された。千代子は須永の家に入って行くのを敬太郎が見た女性だった。ある日、敬太郎が松本を訪れた時に雨が降っている理由で面会を断れたのが何故かを千代子から聞いた。それは松本の末の娘が突然原因不明で死んだことに由来していた。ある雨の日、松本は紹介状を持った男の来客に応対していた。松本には当時、男2人、女3人の子どもがおり、末の娘を宵子といった。松本夫妻も宵子を大切に育て、千代子も宵子を一番可愛がった。松本が来客に応対中、千代子が宵子の遊び相手をしていた時、宵子はおかゆを食べていると、突然、俯せになって動かなくなり、医者をすぐに呼ぶが、宵子は亡くなってしまった。以来松本は、雨の日に紹介状を持って来る男が厭になった。

 

「須永の話」

書生の佐伯から、須永と千代子の2人には複雑な事情があると聞いた敬太郎は、直接須永から事情を聞いた。須永は父を早くに亡くし、母と2人暮らしだったが、母の言う通りにはならなかった。須永の母は千代子誕生時に、田口夫妻に須永の嫁にくれと頼み、田口も了承したと思っていた。以来、須永の母は、2人の結婚を望み、2人を一緒にしようとした。母は須永が大学生の時に千代子との結婚話をするが、須永は断るものの、強く母に言えず卒業するまでに解決すると曖昧な態度を取る。須永も最も女らしい女と思っており、千代子も好意を寄せていたが、須永は妻にすることはできないと次第に強く思うようになる。須永は恐れない女と恐れる男は結ばれない方がよいと考えた。しかし敬太郎は、“千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない”という須永の考えが理解できない。大学3年の時に須永は千代子と百代子と高木で鎌倉の別荘に遊びに行くが、千代子・高木の三つ巴の中で嫉妬心だけあって競争心を持たない須永は一人東京に先に帰ってしまう。2日遅れで千代子が須永の家に泊まりに来ると、須永はあれこれ考え過ぎてよく眠れない。翌日須永が高木はまだ鎌倉にいるのかと尋ねると、千代子から卑怯呼ばわりされる。

 

「松本の話」

須永と千代子がその後どうなったのかは知らないが、傍から見て変わった様子はない。須永は自分はなぜ人に嫌われるのかといい、叔父の松本だって嫌っているというと、松本はそんな須永に、一種の僻みがある、それがお前の弱点だという。僻みの理由がわからないという須永に、松本は、日本の文明開化の影響を受ける吾等は上滑りにならなければ必ず精神衰弱に陥るに極まっているという講演をかつて聞いたことがあった。生まれた時から曇っていたというのは、須永と母親は本当の母子ではないということだ。しかし本当の母子よりも仲のよい母子だと伝えた。この話を聞いた須永は母と朝晩顔をあわせることが苦痛になった。須永は一人で旅に出る。旅先から松本に手紙が届く。

 

「結末」

敬太郎の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近頃は眼の前に見える。けれども彼はついにその中に這入って、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪に過ぎなかった。

人世に対して彼の有する最近の知識感情は悉く鼓膜の働きから来ている。森本に始まって松本に終る幾席かの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々深く狭く彼を動かすに至って突如として已んだ。けれども彼は遂にその中に這入れなかったのである。其所が彼に物足らない所で、同時に彼の仕合せな所である。・・突如として已んだ様に見えるこの劇が、これから先同永久に流転して行くだろうかを考えた。

 

最後は敬太郎の口を通して語らしめているが、やはり物語の主役は須永であろう。須永に対し千代子が卑怯だと言ったことに対する答えを、果たして須永は出すことができるのだろうか。それが漱石の後期三部作といわれる作品の、冒頭の「彼岸過迄」が提示した問題だったのではないだろうか。漱石は人の複雑な幾層にも重なり合う内面を描く天与の才があるといつも思うが、その辺りを存分に味わうことができた作品でもあった。