管仲《上》 宮城谷昌光

平成15年4月1日初版発行

 

管仲と鮑叔(ほうしゅく)が出会う場面から話が始まる。斉の召公に学ぶために家を探していた鮑叔に適当な家の貸借を斡旋したのが管仲だった。翌日から召公家の教室に入った鮑叔の前にいたのも博覧強記の管仲だった。管仲の父が亡くなり家主となった兄は僅かな歳月で殫尽させ、管仲は3年の期限で弟に母の面倒を見てもらうことにし、諸侯に仕えたら迎えに来ると言って家を出た。季燕と婚約した管仲は季燕にも3年待ってほしいと頼んだ。ところが兄が管仲を讒言して季家に吹き込み婚約が破棄され、失意の中で召公家で出会ったのが鮑叔だった。鮑叔とならどこまでも逴行(たっこう)できようと思った。鄭で太子に気に入られた鮑叔の下に管仲が赴き、鄭君と周王との衝突に巻き込まれていく。鄭が勝利を収めるが、管仲は偵諜と誤解されて捕縛された。管仲が無実であることを敵の間者が証明してくれたお陰で釈放された管仲だったが、管仲は鮑叔に賈市の道に誘った。鮑叔は太子から行商の元手を手に入れ、鮑叔と共に南陽に向かった。次に向かうは斉の国だった。斉に入った管仲は公子糾を傅佐し、鮑叔は公子小白(後の桓公)の傅となった。この時、管仲は梁娃を娶り(鮑叔が管仲に、「生芻一束(せいすういっそく)その人玉の如し」の詩を歌った)、母と弟を引き取った。鮑叔は檽叔(じしゅく)と結婚した。

 

・たとえ死んでも、土の下で、あなたさまをお待ちします(梁娃)

・国にかぎらず組織というものは、最も高いところから、最も低いところは見えないようになっている。ところが不思議なことに、最も低いところから、最も高いところは見えない訳ではない。組織を本当に改善しようとする者は、最も低いところに降りればよい。あっという間に改善の骨子はできあがるだろう。