ガラスの靴 悪い仲間 安岡章太郎

1989年8月10日第1刷発行 1993年6月21日第2刷発行

 

表紙裏「幼少からの孤立感、“悪い仲間”との交遊、“やましさ”の自覚 父母との“関係”のまぎらわしさ、そして脊椎カリエス。様々な難問のさかなに居ながら、軽妙に立ち上る存在感。精妙な“文体”によって捉えられた、しなやかな魂の世界。出世作『ガラスの靴』をはじめ、芥川賞受賞『悪い仲間』、『陰気な愉しみ』ほか初期名品集」

 

加藤典洋の巻末解説「『小市民』の眼―安岡章太郎の新しさ」によると、昭和20年代後半から30年代前半に現れた安岡をはじめ、吉行淳之介遠藤周作らは第三の新人と総称され、批評家服部は、それ以前の第一次戦後派の文学から区別して「小市民の文学」として要約できるとする。

もっとも巻末の勝又浩「作家案内―安岡章太郎」では、「ガラスの靴」を通して、敗戦後の自由がヒモつきのそれにすぎず、緊急救援物資にも似た頼りない代物であったことに気づくだけでなく、それを通して戦後という時代の性格そのものを暗喩し、寓喩していることに気づかされると指摘し、第三の新人に共通した性格として挙げられる政治性の欠如、思想性の衰弱といった弱点があげつられたが、それらは表面的な概括に過ぎたと指摘する。

 そんなそれぞれの立場があることを知った上で、「ガラスの靴」を読んではみたが、なかななか私の感性の中にピタッとフィットするような小説ではなかったので、今一つよく理解できなかった。

 それでも「陰気な愉しみ」の方は、加藤の解説にあるように、占領下の日本人の憂鬱、ぴかぴかの靴のような占領軍家屋に住み、その給与で惨憺たる自家の窮状をささえるといった被占領者の憂鬱とつながっている、というのは良く理解できる。

ただ、この年代の小説は、それほど読んできていなかったので、今度は遠藤周作の本にも手を伸ばしてみようと思う。