門 夏目漱石

昭和23年11月25日発行 昭和53年7月30日62刷改版 昭和53年12月30日63刷

 

裏表紙「親友の安いを裏切り、その妻であった御米と結ばれた宗助は、その負い目ゆえ、かつて父の遺産相続を叔父の意に任せ、そして今、叔父の死により、弟小六の学費を打ち切られても積極的解決に乗り出すこともなく、社会の罪人として、諦めの中に暮らしている。そんな彼が思いがけず耳にした安井の消息に心を乱し、救いを求めて禅寺の門を潜るが…『三四郎』『それから』に続く三部作の終編。」

 

広島で暮らす野中宗助と妻御米のごく普通の生活が描かれる。宗助の弟小六のことで叔父の佐伯に相談に行くよう度々御米から言われるが、結局足が向かずに手紙を書く宗助。叔父に小六を引き取ってもらって京都の学校での学業に専念させていたが、父から財産管理を任されていたはずの叔父が亡くなり、弟の学費は12月までしか払えないと叔母から言われてしまう。貸家暮らしをしていた宗助と御米だったが小六を広島に引き取って一緒に暮らすことになる。このストレスからか御米は心臓の病のため倒れてしまう。が事なきを得て回復する。この後で宗助は御米から自分は子が出来ない体であると聞かされる。よく聞くと、これまで2度流産し、3度目は赤子の首にへその緒が絡まって窒息死した後、占い師に占ってもらったところ、他人を傷付けたことがあるから子は授からないと言われた過去があることを宗助に告げる。が宗助はそんな占いなぞ気にするなと声をかける。その後で2人のなり染めが紹介される。親兄弟を捨て、親類を捨て、友人を捨て、学業を捨てて二人だけで生きて行くことになった経過が(ここは「それから」とほぼダブります)。話は前後するが、宗助は叔母から唯一の財産として譲られた崋山の屏風を骨董屋で売る。値段を交渉して10円と言われたものを最後には30円で売れた。この貸家のオーナーの坂井が、骨董屋で崋山の屏風を購入したと聞いた宗助は酒井の家で屏風を見せてもらう。坂井が80円で買ったと聞いて、宗助は、実はその屏風は自分が売ったものだと教え、このことをきっかけに坂井と更に仲良くなる。すると、ちょうど坂井が書生として小六を世話してくれることになる。同時に坂井は宗助に自分のやくざで冒険者の弟のことを打ち明ける。坂井の弟は日露戦争後に満州へ渡り、放浪し続けた大陸で日本人と知り合う。それはかつて宗助の親友でありながら宗助に裏切りられた安井だった。近く帰国すると聞き、宗助は蒼ざめる。鎌倉の禅寺に通う同僚に紹介状を書いてもらい山門をくぐる。何も変わらず10日後にまた門をくぐって日常生活に戻る。「彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」

安井と再会せずに、安井が来日したことも知らなかった御米は、ようやく春を迎えて「本当に有難いわ。漸くの事春になって」とれ晴れしく眉を張って云うのに対して、宗助は「うん、然し又じきに冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。という一文で終わる。

道を踏み外した二人、とりわけ宗助のこれからの人生も暗い人生が待っている、そんなことを暗示させる終わり方である。全体的に通奏低音を感じる。