公孫龍 巻三 白龍篇 宮城谷昌光

2023年8月20日発行

 

帯封「楽毅による史上空前の大戦略。影の立役者はこの青年だった。大国への雪辱を期す小国・燕の臥薪嘗胆策。公孫龍の高潔さと才気が、不可能を可能にする。乾坤一擲の大勝負が始まる。歴史小説の第一人者による、波頭煌く第三部。」「中国・春秋戦国時代末期、周王朝の王子という身分を隠し、商人として活動する公孫龍は、その天賦の才を見抜いた群雄たちに重用され、とりわけ燕の重臣から信頼を得ていた。公孫龍の尽力で燕に仕えることになった知将・楽毅は、燕を初め諸国の脅威となっていた強国斉を攻略すべく、各国を束ねる前代未聞の連合策を考案。公孫龍はその実現のため、これまで培った交諠を用いて力を尽くす。」

 

鵬由は、燕の国の公孫龍の家宰となり、牙荅と杜芳は燕から趙の邯鄲に移して宰領させた。楽毅の助言で燕に製鉄事業を発展させる必要を感じた公孫龍は、趙で商工業界を総監していた鵬由に一切を委ね、鵬由は息子鵬艾(がい)と鵬由家の家宰伊枋にその事業を従事させた。公孫龍はかつて自らの命を狙った弓の名人狛から崖上の囚人となっている王孫季の救出を頼まれ、特殊な弓を製造して無事救出し、王孫季を旭放の後継者にした。趙が斉を攻めると聞いた公孫龍は、楽毅に、燕を連合軍の中枢に置き、楽毅が元帥となり、燕王と楽毅が連衡を主導することを勧めた。先陣を趙梁2万の兵、中軍を公孫龍白海を加えて2千5百の兵、後軍を韓徐1万の兵とする布陣を敷き、対する斉軍は一万の兵で中軍を襲ったが、九百の弩と高い牆璧で斉兵を散らした。恵文王より褒美を与えたいと言われた公孫龍は燕王を助けて頂きたいと申し出た。恵文王は返事をしなかった。公孫龍は、燕が趙と秦の偵候を買って出ることで両国から好感を持たれれば燕の外交は次の段階に進みやすくなると進言する。かつて公孫龍の暗殺を計画した李巧が亥也を脅して公孫龍に眠り薬を飲ませて水底に沈めようとした。中州に流れ着いた公孫龍を、魏を脱走した永俊が救った。永俊を盗賊が襲い掛かったが、公孫龍と2人で盗賊団を潰滅させ、永俊を一緒に燕の国へ連れて帰り、楽毅の私臣とした。公孫龍楽毅と会い、秦王が斉を攻めるために趙王と会う際に燕王がリードしなければ宿望を果たすことが出来ない、それを出来るのは楽毅しかいない、そして楽毅こそ連合軍の上将軍にならねばならぬと説いた。楽毅の外交は着々と実を結び、公孫龍は燕王より燕軍の監視官に任命された。最初の攻撃目標は霊丘と定めた。上将軍に楽毅が趙王より指名され、燕軍が先陣を切った。第一陣は勝利し、続いて楽毅は次なる決戦「済西の戦い」に臨んだ。斉軍十万余、燕、秦、趙の軍は合わせて七万余。韓と魏は一日遅れで後方にいた。第二陣も突破した燕軍は最後の臨淄に向かって直進した。斉王は衛という小国に逃れた。楽毅は斉王の宮殿に火をかけさせ宮殿は炎上した。斉王は殺された。公孫龍の前に名家としての思想家公孫龍が現れた。趙は公孫龍に兵器改良を頼んだ。楚は斉という国が消えつつある今、新たな友好国として趙王に和子(かし)の璧を贈呈した。これが次の物議を醸しだした。秦の昭襄王が城十五と交換したいと恵文王に書翰を送ったからだった。秦王は詐術を行う人であるため、断れば秦軍に攻略の口実を与えることになりかねなかった。