昭和55年6月5日1版1刷 昭和59年2月23日1版15刷
①相撲小屋で育った双生児
③鴈次郎の舞台に酔う
④「阪井座」の金主に
⑤初座主に興行中止命令
⑥“火の玉小僧”静間小次郎
⑦興行合理化の第一歩
⑧「松竹」を名乗る
⑨東京進出
⑩私とともに歩んだ人々の…
・明治10年12月13日生まれ。祖先は薩摩、父は京都で双生児をもうけた。兄が松次郎。昭和26年に兄は先だった。相撲小屋の荒むしろの中で暮らした。九代目団十郎に品格のある印象を受けた。兄は夷谷座の売店全部の権利を握っていた白井亀吉に働きに出て娘婿に選ばれて白井松次郎となった。阪井座は竹次郎が譲り受けた。興行中止命令を受けて祇園館を購入し、これを移して歌舞伎座と命名した。当時まだ有名でなかった静間小次郎に気骨を見出し、書生の犯罪という新狂言は盛況となった。当時劇場に蔓延っていた寄生虫と対決し、命がけで合理化の道を歩んだ。明治座と改称した翌年に父に逝かれた。25歳の時だった。松竹合名社の名称で統一した。34歳で東京の新富座を買い取り、大改築した後、歌舞伎座の興行方針に不平を持つ俳優たちが参加して新富座に全盛時代が訪れた。長男を事故で亡くし芝居を断念しようとしたところ周囲の応援を得て再起し、昭和30年に文化勲章を授与された。 (昭和44年12月27日死去)