昭和55年10月2日1版1刷 昭和59年2月23日1版7刷
①日本銀行入りから高碕事務所代表まで
②先輩藤井海軍大将のことば
③精義塾と池田経三郎先生の教訓
④長池理事-部下への暖かい配慮
⑤清水理事-“よい辞令は早く伝える”
⑥小幡ドイツ大使と坂西陸軍武官
⑦潔癖だが後輩に新設に教えた深井総裁
⑧上海で終戦、退職金問題で大騒動
⑨心に刻む先輩後輩の多くの示唆
⑩岡山中学時代から深い私と中国の関係
⑪“隣人中国”と協力して世界の平和を
⑫全国を貯蓄奨励の行脚
⑬貯蓄こそ世界に遅れぬ国づくりの礎
・明治30年4月16日岡山生まれ。岡山中、一高を経て東京大学法科(政治学科)卒業後、日本銀行に入る。小樽支店、本店、ベルリン駐在、本店、上海(日本銀行を退職して上海興商業銀行理事)、大東亜省参事官、丸善石油、池貝鉄工社長・会長・相談役、日本ヘリコプター㈱副社長(全日本空輸㈱と改称)・社長を歴任する。ものの本質をまずつかまえなければならず、本質に合わないことは議論せず、本質に合うことについて話を進めることが事を成功させる秘訣であることを教えて下さったのが池田経三郎先生(近江銀行頭取)だった。貯蓄増強中央委員会の四代目の会長に就任。二宮翁が説く“勤・倹・譲”のうち“譲”という考え方を小さい時分からあらゆる方法で教えるべきである。