広瀬経一(北海道拓殖銀行会長) 私の履歴書 経済人11

昭和55年11月4日1版1刷 昭和59年2月23日1版7刷

 

①生家は香川の素封家“千石持ち”の庄屋

②ボートや柔道にも熱中した高松中のころ

③“人生探究“の三高時代、勉学の京大時代

④高等文官資格もたないまま大蔵省へ就職

⑤高文をパスし各地の税務署長を勤める

⑥検査官として銀行業務に初めて取り組む

⑦神戸税関を最後に役員生活を終える

⑧国民政府の経済顧問として上海へ赴任

⑨戦後の混乱のさなか拓銀の頭取に就任

⑩会長に退きさらに誠実一路の人生を願う

 

明治29年3月7日香川県生まれ。高松中学の5年先輩に菊池寛がいてピンポンをした記憶がある。当時から秀才の誉れ高く有名だった。しかし彼ほど身なりの汚い男は後にも先にも見たことがない。三高時代は弁論部、京大時代は馬術部に所属した。大学時代は死んだつもりで勉強しろと先輩に言われて猛勉につとめた。日本信託銀行や満鉄の就職試験にパスしたがこれを断り、大蔵省に入った。高文試験を2回目でパスし、松山税務署長、大阪の玉造税務署長、東京の厩橋税務署長の後、名古屋税務監督局経理部長に転出し、大阪税関では総務課長、官房長、監視部長、港務部長をやり10年後再び税関長を赴任したのを加え大阪税関の全部局を経験した。銀行検査官時代は全国を飛び歩き、神戸税関長を最後に大蔵省を46歳で退官した。2年間の上海滞在後、終戦間際に拓銀副頭取に迎えられ、昭和22年に頭取を引き受けた。27年に札幌商工会議所会頭、北海道商工会議所連合会会頭に就任し、15年つとめた頭取のイスを37年東条猛猪君に譲り渡した。(昭和48年8月より北海道拓殖銀行相談役)