親鸞(上) 五木寛之

2011年10月14日第1刷発行 2014年9月24日第4刷発行

 

京の鴨の河原で競べ牛を見に行った8歳の忠範は、牛頭王丸に突き殺されそうになった。その時、河原坊浄寛に助けられ、以後、ツブテの弥七や法螺房弁才などの河原者たちと親しく交わる。日野家の召使い犬丸から放埓の血が流れているかも聞かされ、放埒人の血とやらは自分にも流れている?と自問する。犬丸が六波羅王子に連れ去られた。浄寛らの力添えで犬丸を救出した後、浄寛の勧めで山に入ることに。範宴と名前を変え、9歳で比叡山に入山を決意する。犬丸が夜開帳する賭場に出入りする後白河法皇の伝手を辿って白川坊慈円阿闍梨の下で忠範から範宴(はんねん)と名を改めて修業する。12歳で入山し、19歳となった範宴は慈円と再会し山を降りて市井の中で信奉者を増やす法然房の教えを学べと言われる。法螺房から法然の念仏を分かりたければ聖徳太子が祀られている二上山の夕日を見てこいと言われ、太子の廟に赴く。後に當麻御前となる傀儡の女と出会う。法然は18歳で叡山を降りて別所に身を投じた大秀才。専修念仏で武士や女人まで浄土に迎えられるとの教えが何故広まるのか?仏を見るための好相行で限界まで自分を追い詰めた範宴だったが仏とは何かを追い求め続けただけで遂に見ることが叶わなかった。が気絶する直前の範宴が好相を得たという法印の承認を得て29歳まで叡山での修行を続けた。六角堂への百日参篭の初日、法螺房と再会し、少年の背中の出来物を吸い出すことこそ仏の道と教えられ、少年の命を救った範宴。お礼の宴席で初めて酒を飲み、二上山で出会った當麻御前とツブテの弥七とも再開する。そこに六波羅王子の矢が飛んでくる。當麻御前が身代わりに。下山し、俗世間に身を置く決心をする。