錦《上》 宮尾登美子

2013年6月10日発行

 

菱村𠮷蔵は祖父久兵衛に猫かわいがりされる。祖父が亡くなると𠮷蔵は学校を退学し、西陣で丁稚奉公の修行を始め、黒繻子の帯の担ぎ売りを始めた。が、商売の経験不足で足もとを見られ、不良品を掴まされ、商売の厳しさを知る。𠮷蔵が訪れた山根英吉の機場で織り上げられた帯は光沢があり布目がなめらかで美しく、実家から金を捻出してもらってジャカード織機を購入し、山根と二人三脚で経営をスタートすることを決断する。山根の息子の善一は腕のよい織手で、娘のお仙は背が高く、大好きな役者の染五郎に吉蔵が瓜二つに見えて以来、吉蔵を好きになってしまい、家の女子衆の一人として奉公させてほしいとの要望を聞き入れて使うことになるが、すぐに善一の織る黒繻子に人気が出て丁稚として使うことになる。親任せで婚礼に臨んだ𠮷蔵はむらとの間で悠をもうける。お仙は吉蔵のそばで仕事を続けた。品評会で博多単帯が二等賞牌を受賞し、聚楽織も三等を受賞した。聚楽織で実用新案登録をし、以来工夫に工夫を重ねて30代で6つの専売特許と30の実用新案を取得。西陣の一角で菱村織物の店を構え、織機は60機まで増え、吉蔵は重圧を感じるようになっていた。やがて模造する者が現れ、頭を悩ますことに。ある時、怒りに身を任せて西陣の人たちを詰る際に善一も一緒になじられたと感じてしまい、善一の心は離れてしまう。模造品に警告を告げる新聞広告も奏功せず、遂に法廷闘争に至る。そんな中、南の芸妓ふくと出会い、何度も通い詰め、ふくを身請けする。纐纈織(こうけちおり)で起死回生を狙った𠮷蔵だったが、久しぶりに善一を訪ねると、纐纈織の模倣品を発見し、仙から事の次第を聞いた。もともと大叔父太一は𠮷蔵の帯を見て百貨店の社長や東京美術学校長を紹介し、𠮷蔵の商売を軌道に乗せてくれた恩人だった。この時も𠮷蔵は大叔父に相談し、組織改革を行う。善一の代わりに製織技師永井進を招き、下絵や図案を描く画家(親友の久靫彦を含め)に委嘱し、染の秦泉寺七郎を加えた後は菱村の三羽がらすといわれるまでに整い、経理は服部庄吉に任せることにした。仙にはこれまで同様母の面倒を見てもらった。ふくの懐妊を仙から聞きどうするか案じている時に、元大名で侯爵の橋田家より、昔の茶入れの仕覆を復元してもらいたい依頼される。東京で一軒家を借りて社長宅を構え、永井はおふくだけでなく筆屋の家族全員を転居させ、そこでふくを出産させた。妻むらの目から遠ざける一石二鳥の手だった。選ばれた職人を東京に呼び寄せ、歴史的な間道といわれる仕覆の復元作業が始まった。