十八史略(ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)竹内弘行

横田國臣氏(大審院長)の揮毫「虞芮倶譲」の出典が十八史略であることに初めて気づきました。自分でも不甲斐ないと思います。これまできちんと「十八史略」を読んでこなかったことのツケですね、これは。

 

しかも通常、周の時代(文王)に、虞の国と芮の国の国君2人が争いを裁定してもらおうと、周の国に訪れた際、農民が皆畔を譲り合っている姿を見て、恥ずかしなって裁定を待つまでもなく帰ったという故事だという程度の理解をしていたのですが、実は文王が西伯昌(せいはくしょう)の名前でいた時の話だというのを初めて認識しました。

西伯昌の死後、子の発が武王となり、武王が天子となった後、西伯昌を「文王」とした、とありました。そして有名な太公望(元は「呂尚」)が軍師として仕えることになったのが西伯昌だったわけです。何とも面白いですね。このあたりは。

断片知識がまとまっていくのも、古典を読む醍醐味なのかも、です。

 

管鮑の交(かんぽうのまじわり)

 管仲と鮑叔(ほうしゅく)の友情から出来た有名な成語。

 春秋時代、斉の国の桓公の下で名宰相とうたわれた管仲桓公のもり役だった鮑叔。

 

 鶏鳴狗盗(けいめいくとう)

 孟嘗君が、難局を乗り切るのに鶏の鳴き物まねがうまい食客の働きで難を逃れたという故事から、つまらない者でも使い方によっては役立つという意味で用いられるようになった、という四字熟語ですね。