鏨師 平岩弓枝

1987年10月10日発行

 

鏨師

民間刀剣鑑定家として知られた高野篁介の書生だった福原茂雄が、篁介の長女と結婚し師の鑑定法を継いで30余年が経っていた。姪が父親に内緒で金に困って一本だけ残っていた刀を持ってきた。しかしこの姪の父親志村逸平はかつて福原茂雄の名を使って大がかりなペテンを働いたことがあった。鑢の目切り師だった逸平は細い鏨で小さな目を正確に刻む腕を持っていた。が機械化が進み仕事が無くなった時に逸平に近づいた刀剣商の東舎松太郎は偽銘切りに逸平を利用した。篁介は逸平の偽銘を片端から見破り暴いた。2年間、両者は鎬を削った。師の遺言は、「鑑定家と鏨師との勝負だ、刀剣の正邪がそれに賭けられている。頼むぞ、福原…」だった。師が亡くなった翌年の春、福原は偽銘を見破った。しかし逸平は地方の神社から刀剣を手に入れて偽物を作っていた。福原は東舎の手で売られた刀剣類を買い戻しては神社に返却し、そのため福原家の財政は逼迫し、一人息子は進学を諦めて終戦の直前に南海に散った。その逸平の娘が持ち込んだ刀は虎徹だった。逸平という色眼鏡で見れば偽物だが、色眼鏡を外せば本物に見える。大槻亀吉博士に鑑定を頼むと正真正銘の虎徹、寛文六年前後の作との折り紙がつけられた。その後、姪は父逸平の偽銘である子を告げ、一人息子を遠ざけられた恨みと父に最後の勝負させたかったと打ち明けられた。ただ無銘の虎徹に逸平が銘を入れた可能性を考えた福原は東舎がこの刀を買うと言い出して、迷いに迷った挙句、大槻博士に全てを任せると伝えた。鏨師逸平が命をかけた刀なら、自分も鑑定家の目を掛けようと決め、万一事実を明らかにしなければならない時が来たら自分がすべての責めを負う覚悟を決めて。その日、逸平の通夜を姪と妻と福原の3人で行った。

直木賞受賞作。

 

神楽師

神楽師の久太郎は、弟の倅の三男吉哉が神楽好きであったことから本当の親子のように育て神楽を仕込んだ。吉哉は、代々木神社の神主白石一雅の一人息子進一を本当の兄弟以上に尊敬し親しんでいた。久太郎は吉哉の武内宿禰を見て、腹が出来ていないと叱責し、武内宿禰は大臣だ、モドキたあ訳が違うぜと呟いた。その言葉の意味を図りかねた吉哉だったが舞台で演じる際にその意味をようやく理解し自分の演じ方に自信を持った。ある時、進一は吉哉に、能や狂言や歌舞伎は一流の芸能として繁栄しているのに、神楽はストーリーを含め研究不足だ、今の学らは芸術品と言えない、神楽の中には洗練された磨かれた芸が足りないと厳しく意見する。進一は吉哉を機会あるごとに誘って、歌舞伎、新劇、日本舞踊のリサイタル、バレエ、モダンダンス、能、狂言雅楽の研究会に至るまで同行した。実は全て久太郎の指図だった。吉哉は公演プログラムを組み舞にもパントマイムにも思い切った改訂をほどこし、ありったけの力を尽くして久太郎と舞う準備をした。公演は大成功だった。帰り道、すれ違い様に男の肩が吉哉を突き喧嘩となり吉哉は果物ナイフで刺された。吉哉は死んでしまった。実母が吉哉の遺品を全て持ち去った。久太郎の配偶まつがある時みなし児を抱いて貰い子にしたのが雪絵だった。吉哉が亡くなって魂が抜けたようになった久太郎の姿を見て雪絵は源次郎師匠の下に通って囃子を習った。わずか2か月足らずで雪絵の笛を聞かされて雪絵の才能に驚かされた。雪絵は神楽師になりたい、神楽を教えてほしいと懇願する。進一との縁談が進み、久太郎は愛着深かった神楽の面や装束を全て譲渡し、元締の看板を下ろした。白無垢姿の雪絵を見た久太郎は雪絵から、吉哉が雪絵のために作った前掛を預かった。

 

つんぼ

 耳が聞こえなくなった三味線の大師匠と呼ばれる祖父母の桂古登代は、孫の亮太郎と犬猿の仲。それもそのはず亮太郎の母世津子をいじめ抜き、わがまま言いたい放題、暴言言いたい放題で、じっと世津子は耐えていた。ある時はぐらぐら煮立っている鉄瓶を世津子にぶつけて火傷を負わし、亮太郎は古登代を平手打ちする。ある時は演技で首を吊る真似をしたが、そこに亮太郎が現れ、相変わらず口汚く言い捨てたが、最後に一言だけ、「お前さんに一つだけ仕返ししてやるよ。本当の勝負はそんときのことさ。その日を楽しみにせいぜい長生きしてやると」と捨て台詞を吐いた。そんな古登代も今わの際に亮太郎を側に呼び、三味線を弾きながら鷺を唄わせる。鷺はあの火傷事件が起きた時に唄った唄だった。あの時、古登代は、世津子とおふくとの話を立ち聞きしていたのだった。古登代は、最後の力をふりしぼるように「もう結構だよ、袴のひだが汲みにくいたあ、よくも唄っておくれだったね。おかげでよい冥途への土産話が出来ましたよ…」と言い満足そうな笑みを浮かべて息絶えた。亮太郎は大師匠がつんぼでなく耳が聞こえることに気が付く。積んぼを装っていたのは何のために?・・・亮太郎は声にならない呟きが洩れた。「負けたよ。大師匠。」