天平の甍  井上靖

1976 年 3 月初版発行 1992 年 10 月第 14 刷発行

 巻末の付録に井戸賀芳郎の「日本文化の発展につくした人々」という解説がある。
 ここから読み始めた方が小説自体も読み易いと思う。
 『天平の甍』は、中村新太郎『天平の虹』と違って、鑑真和上をわき役とし、唐土を舞台に繰り広げる留学僧たちの活躍に照明をあててその生き方や行動を細かく描いている。聖武天皇の頃の奈良(平城京)では中国から律師を招くことが時代の要請となり、遣唐使とともに興福寺の栄叡と大安寺の普照は戒師を招いていく役目を任されるとあった。こういう知識を背景にして読み進めないと、結構、難解な仏教用語が沢山出てくるだけに、スムーズに読み進めるのが結構大変だと思う。
 いずれにしても、鑑真を日本に招くのにこんなに困難が伴っていたのかと正直かなり驚いた。4 人の留学僧として、普照、栄叡、戒融、玄朗が登場するが、彼らは、途中からそれぞれ別々の道を歩み始める。また一足先に唐に渡った業行は膨大な経巻を集めこれをどうやって日本に持ち帰るかに心を砕く姿も印象的だった。
 普照らは鑑真を何としても日本に招こうとして何度も船を利用するが、その都度海難に遭って失敗する。よくぞ命を長らえたものだと思う。それでも 20 年の苦闘の末、第 10 次遣唐使派遣が入京すると、66 歳になっていた鑑真は過去 5 回失敗したものの、今度こそ本願を果たしたいと述べ、50 歳になろうとしていた普照と一緒の船で立つ。
 戒融は中国全土を托鉢しながら回り、玄朗は唐で結婚して子をもうけ、栄叡は普照と共に長年行動するが病気で亡くなる。鑑真訪日後、東大寺盧舎那仏の前に戒壇を立て聖武天皇は壇に登り鑑真らを師証として菩薩戒を受ける。鑑真が精舎を営んだ建初律寺を聖武天皇孝謙天皇の第で金堂等の工が行われ、天皇より「唐招提寺」の勅額を賜り山門にかけた。その後遣渤海使が日本の普照のために一個の甍を持ち帰る。甍は寺の大棟の両端にのせる鴟尾(しび)だった。送り主は見当がつかないが、玄朗か戒融かもしれない。
芸術選奨文部大臣賞受賞作。


『川の話』という短篇も収められている。
「私が川が好きだというのも、川というものはどんな川でも、みな海へ出ようとする一途さを持っているからでしょうか。人間でも川のような一途な流れを、その経歴に持っている人は立派ですな」という言葉は素敵だ。