赤毛のアン L.M.モンゴメリ 花岡花子/訳

2008年7月31日第1刷発行 2018年12月27日第40刷発行

 

11歳のアンは、孤児院から、兄マシュウ・妹マリラの家に引き取られることになる。当初男の子を引き取る予定だったが、明るくておしゃべりなアンをマシュウが気に入り、いつの間にかマリラもアンを引き取ることに同意する(他の家に引き取られそうになるが、アンが可哀想になって自分たちが引き取ることに決めた)。空想の翼を広げて、湖や窪地や桜の木など美しい自然にアン独自のネーミングをこらし(「輝く湖水」「妖精の泉」「恋人の小径」等)、友達ダイアナも作り、日曜学校にも通うようになる。ある時、リンド夫人の家を訪ねると、夫人から真っ赤な髪やそばかすのことを指摘されて短気を起こしてリンド夫人に食ってかかる。マリラから叱られ謝りに行くよう言われても応じない。それでもマリラの言う事はきかないといけないと思い直して、嫌味を込めつつ慇懃無礼な程にリンド夫人に謝罪の言葉を伝える。夫人には嫌味は通じなかったようだが、この辺りは読んでいて結構痛快。どんどんアンのペースに周りがはまっていくのが面白い。恐らく読者も同様にアンにハマっていくのだろうと思う。

アンは楽しみにしていた生まれて初めてのピクニックに出かける当日、マリラが大切にしていたブローチを外に持ち出して湖に落としてしまったことを告白する(これは、マリラから何か言わないとピクニックに行かせないと言われていたので作り話をした)。ところがスラスラとしゃべるアンが反省していないと思ったマリラはピクニックに行かせない。ところがその日ブローチがマリラの服から出てきてマリラはアンに謝り、急いでピクニックに連れていく。アンは天にも昇る気持ちだった。

ダイアナと学校に通うになり友達も増えた。ある日クラスメートのギルバートがアンを振り向かせようとして「にんじん」と声をかけるとアンは怒って石盤をギルバートの頭に打ちつける。ダイアナがアンの家に遊びに来てイチゴ水が美味しいと3杯飲む。ところが体の調子が悪くなり家に帰ると、家の者から酔っ払ったダイアナの吐く息でお酒を飲まされたと勘違いし、ダイアナを心配して訪ねてきたアンに二度とダイアナと会うなと忠告されてしまう。事情を聴いたマリラはイチゴ水でなく間違えて葡萄酒を飲ませてしまったことに気づき事情を説明に行くが聞いてもらえない。アンも謝りに行くがダイアナに会わせてもらえない。そのためダイアナに会うためにアンは学校に再び通う。ダイアナの家の小さな子供が親が不在の時に喉頭炎にかかり、アンが呼ばれる。アンは孤児院の前に小さな双子の面倒を見ていたので対処の仕方を知っていて命を救う。医者は午前3時頃駆け付けたがアンが処置していなければ亡くなっていた。ダイアナの母はアンに子どもを助けられダイアナと付き合うことを許してくれる。アンは飛び上がらんばかりに喜ぶ。ダイアナの誕生日には音楽会に行き、帰りはダイアナの家の客室寝室で泊まることも許された。有頂天になった二人はベットに飛び乗った。ところが、ちょうど叔母さんがこの寝室で寝ていたので、突然起こされて、さあ大変。ダイアナも家族も皆叔母さんが怒り狂い帰ると言い出す始末。アンが自分が悪いと叔母に話をすると、叔母はアンの明るい性格に魅了されてすっかり仲良しに。自分の空想で作りだしたおばけの森を怖がってアンが森を通ってお使いに行けない話、村に新しい牧師夫妻がやってきて、アンが焼いたケーキに、クリームと思っていれたものが薬でそれを食べさせてしまった失敗話や、意地を張り続けて屋根の棟を歩けという友達の命令に従ったら転落して大怪我をしたり、マシュウがアンのために流行りの女の子用の服を買ってあげるとアンは大喜びし、音楽会でもアンは立派に務めを果たす、アンはダイアナと物語クラブを結成する、行商人に黒髪に染める薬と言われて試したら緑色の髪に変色して髪をバッサリ切ってしまう、クイーン学院受験のための特別なクラスにアンがギルバートと一緒に組み入れられ、二人はライバルとなって勉強に頑張る、でもダイアナはこのクラスにはいない、入学試験に頑張って何とアンはギルバートと第一位でパスすることが新聞で報じられるなど、愉快な話、ハラハラする話などが後から後から続いていく。

そして遂にアンは長年お世話になったマリラ・マシュウ、ダイアナと別れて町に出ていく。マリラ・マシュウは小さい頃からアンの面倒を見続けていただけに綺麗に賢く成長したアンと別れるのが寂しい。ダイアナは見事な成績を修めてエイヴリー奨学金を得てレイモンド大学に進学することが決まり、マリラ・マシュウはアンを誇りに思う。マシュウは亡くなる直前「わしのじまんの娘」だと語る。ギルバートとアンは最後には仲直りし、ギルバートは母校アヴォンリーの学校の先生になるのをアンに譲る。

昭和14年に原作を手にした村岡花子さんが昭和27年に翻訳した「赤毛のアン」の物語はこの後もアンが50代になるまで続く。夢と希望を人々に与えた功績は本当に大きいと思う。