約束の海 山崎豊子

 日米開戦後の捕虜第1号をモデルに、「櫻花 散るべき時に 散らしめよ 枝葉に濡るる 今日の悲しみ」という米国国立公文書館の機密資料から入手した捕虜の和歌の意味を読み解こうとして、著者が4部構成で書き表そうとしたうちの第1部である。これが著者の未完の遺作となった。2部から4部までの構成・あらすじが巻末に掲載されているが、それこそ2部からが本筋の内容になるので、その前に終わってしまったのは誠に残念。

 1部は、いわゆるなだしお事件を題材に、一般的にあまり理解されていない、海上自衛隊の潜水艦の任務について、架空の主人公(捕虜第1号の息子)に語らせながら、ストーリーが進展していく。その中で、「潜水艦乗りは不測の事態に備え、全員、遺書を要求されている」という一節が、殊更に私の心を打った。

 人知れず、日々、営々と、我が国の防衛に当たっている自衛隊については、国民一般がそれほど関心を示していない。その中にあって、ひとたび事件が起きると、その時はこぞって、果たして我が国に軍備が必要なのかという論調で取り上げられることが多い自衛隊とそこに所属する大勢の自衛隊員の気持ちを考えると、大変難しい問題がそこには横たわっていることを、この小説は導入部で読者に突き付けている。

 先の遺言のくだりは、その意味の深さを考えるとき、自分も、仕事の中身は全く違うとは言え、それこそ、毎朝、遺書を書いて出勤する位のつもりで、仕事に当たるべきとの自覚を深く促される契機になるものであった。それこそ、日々、身命を賭して死力を尽くす、と毎朝決意してはいるものの、遺書を書くまでの覚悟が本当にできているのかどうかを内省する本当によい機会となった。