豊田喜一郎 自動車づくりにかけた情熱 山口理

2016年3月初版 2020年3月第5刷

 

豊田佐吉豊田自動織機製作所の創設者。喜一郎1894年6月11日誕生。私立明倫高校(県立明和高校)、仙台第2高等学校、東京帝国大学工学部卒業後に法学部に入学。27歳でアメリカ、ヨーロッパを視察し、帰国後、自動織機で働き、イギリスとG型織機で大型契約が出来たのを機に、小型エンジンの試作に挑戦して36歳で成功させる。自動車部を設立し、トラックや乗用車を製作し、トヨタ自動車工業株式会社の副社長、社長になる。太平洋戦争に突入しトラック生産。終戦後、小型乗用車生産に取り組み、急行列車の競争に勝つ。戦後不況のため社長を辞して石田退三に社長の座を譲り渡す。朝鮮特需により会社が持ち直し、再び社長の座に返り咲き、世界に誇れる日本の乗用車作りを目指そうと、名を『クラウン』と決めた矢先、父親と同じ脳溢血で57歳で亡くなる。3年後に純国産乗用車「トヨペットクラウン」が誕生。トヨタといえば「ジャスト・イン・タイム」が有名だが、喜一郎の言葉。「必要なときに必要なだけつくる。つまり、組み立てようとする時間に、その部品がその場所にあること」。「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」。徹底的に無駄をなくそうとする喜一郎の考え方がこの言葉に表れている。

ガソリン車から電気自動車への大きな時代の転換点を迎えた現在、トヨタは果たして勝ち続けることができるか?創業者たちの熱い思いや伝統を生かしつつ、時代の先を読み時代に適合しなければ生き残れないことを知悉せざるを得ない日本の自動車業界は大変な状況に直面している。船から鉄道そして自動車さらに電動自動車という変化は産業革命そのもの。今回の産業革命に勝つのは果たしてどこだろうか。