魚の棲む城《上》 平岩弓枝

2014年12月10日発行

 

本郷御弓町に生家がある龍介は商家の若女房風に成長していたお北に八年ぶりに会った。お北は菱垣廻船問屋・湊屋幸二郎のもとに嫁いでいた。龍介はのぞまれて蔵前の坂倉屋に養子に入っていた。幼い頃、もう一人の龍助とお志尾を交えてよく北野天神で遊んでいた。龍介の速水家が二百石、お北の斉藤家が二百石、田沼龍助が三百石の旗本だった。田沼龍助は家督を相続して意次と名乗り、叙爵されて主殿頭となっていた。龍介が養子に行った坂倉屋は豪商の中に入った。嫁いだお志尾が1か月も経たぬうちに妊って戻された。相手は田沼意次との噂が立つ。お志尾が田沼家に女中奉公していたために立った噂だったが、龍介は信じなかった。田沼龍助の隣に似合うのはお北だとずっと思っていた。お志尾がいる離れの家から男が出てきた。突然龍介を斬りつけ、去っていった。その後ろ姿には見覚えがあった。

田沼家の蔵米の御用は坂倉家が受け持つことになった。田沼龍助は九代将軍家重の小姓頭取に出世した。田沼龍助が坂倉屋を蔵宿にしたのは、龍介が坂倉屋の当主となった時に金を用立ててくれると思ったからだと自ら下心があることを告げ、俺とお前の関係でいたいという。龍介は通りすがりの道で辻斬りにあった町人の死体を見た後、お志摩が生んだのは女の子だと聞く。

田沼龍助は、龍介を月に一度屋敷に呼び雑談をした。龍介は、九代将軍家重が言語不明瞭で正確に聞き取ることができるのは側仕えの大岡忠光だけで、田沼龍助もじっと家重の言葉に耳をすましていると聞き、龍助の努力と家重と信頼関係を築いている話に感激して涙ぐむ。龍介は己も経験した辻斬りの話も伝えた。凶行は続き、田沼龍助は犯人を確信した。お北の弟兵太郎に屋敷に来るよう伝えたが自害する。お志尾との関係は伏せられた。吉宗は体調を崩し漸く将軍の権限が家重に廻って来た。家重は決して愚かな将軍ではなかった。病弱である点で自信はなかったが信ずるに足りる家臣と見きわめた者を重用した。最も信頼している側近の田沼意次。発言権はなかったが意次がいるだけで家重は老中の話を安心して聞いた。意次は否応なしに政事を学んだ。目下の課題は米経済。米経済のためには米価と他の値段との均衡を維持することだが、米価は下がっても他の物価は下がらないため武士は困窮していた。吉宗は米価引上政策に苦闘したが成果が上がらない。米価政策と物価政策に翻弄されながら、なんとか財政を黒字にしたが意次はこれでは危いと考えた。意次の母から仮住まいから実家に戻るよう諭されたお北は意次と二度と会えないと思って生きた屍の状態で実家に戻り、離れの牢座敷のような茶室に閉じ込められる。そこを意次は訪ねて関係を持ち関係が続く。そんな中、遠方に出張中だった夫が戻り、本家が意次との関係を築きたいが何とかならぬかと相談されたお北は龍介を訪ねて意次との間を取り持ってもらいたい、それから茶室には誰もいないと言付けしてほしいと頼む。それを告げる矢先、龍介は意次からお北と添い遂げたいと告白され狼狽する。そんな意次に龍介はお北の志を無にするのか、見損なったと男泣きに泣く。吉宗の容態が悪化し再起がおぼつかなくなると、家重の治世は短いと計算していた幕閣諸侯は周章狼狽を隠せず俄に将軍の側近に顔色を窺い出した。意次にしてみれば不快の一言。意次は将軍に対し良き家臣であらねばとの自覚が更に強くなる。吉宗死去。意次33歳になっていた。