黄色い人 遠藤周作

1989年4月10日発行

 

『白い人』と対になる初期の代表作。四谷の医学部に進学した主人公は結核を患い、故郷の兵庫に帰省し、かつて関係を結んだ従妹の糸子と再会して関係を続ける。彼女の婚約者と主人公は仲間だったが、主人公はすまないという気はあるものの、罪の意識も良心の呵責もなくただ疲労を感じながら生きていた。主人公に洗礼を授けた神父デュランは司祭でありながら日本の女性と不倫関係を犯し教会を追放される。信者たちの目を隠れながら生きていたデュランを支援していたブロウ神父をデュランは裏切り、ブロウ神父から預かっていた拳銃を司祭館に忍び込み彼の書斎に置いて、ブロウが先に拳銃を見つける前に、ブロウを密告する手紙を作って警察に送りつける。B29の爆撃に遭い、デュランは死に、糸子も血を流して倒れる。そんな中、主人公は、これが手紙であり、筆をおこうと書き記す。「黄いろいぼく等には闇も光も、その区別はないのです。デュランさんはそれを死ぬ前に知ったのでした」「同じ白い人でもデュランさんのことならまだ、ぼく等には理解できるような気がします。しかし、貴方のように純白な世界ほどぼく等、黄いろい者たちから隔たったものはない。それがこの手紙をしたためさせた、理由になるかもしれません」と結んでいる。

 

黄色人種である日本人は、たとえ洗礼を受けたとしても、原罪であるとか、キリストであるとかは、理解することは出来ない、罪の意識、感覚がない、ということを言わんとしているのだろうか? 分かったような、だけど、すとんと落ちてこないような気がする。まあ、遠藤さんらしい作品だといえば、それまでなのかもしれないが。