深川恋物語《下》 宇江佐真理

2019年6月10日発行

 

「さびしい水音」

大工の佐吉と幼い頃から絵を描くのが好きだったお新が当初大変仲の良い夫婦として描かれていくものの、お新の絵が話題にされ稼げるようになると、いつしかお新も上等の着物や帯を誂え、長屋から一軒家に引越しした。佐吉だけでなく佐吉の兄夫婦もお新の稼ぎを頼るようになる。しかしお新は所詮素人で絵に限界を感じて絵を描くのを辞めようとする。が、稼ぎがなくなったお新に兄嫁は相変わらず無心を続ける。ある時佐吉が入った飲み屋の客が、辰巳は亭主持ちのために足を引っ張られている、女絵師は大抵独りで、根岸の絵師にかかったら女はひと溜りもないなどと聞かされて慌ただしく勘定をすませて店を出た。兄嫁は相変わらず無心を続け、ある時、着物や帯を質に入れて金を作れと迫り、断るお新に佐吉はまた書けば買えるじゃないかと言い、それでも拒むお新の頬を殴り付ける。お新は再び筆を持つ決意を固め、しばらく泊まり込みで仕上げる仕事が入ったが、その間佐吉の世話が出来ないので悩んでいることを告げると佐吉はお新の画料を期待してお新の気持ちをよそに了解してしまう。それからお新は半月余り戻らなかった。心配になった佐吉が絵草紙屋の前をうろうろしていると、辰巳やわじるし(春画)という言葉が客の間に交わされているのを耳にし、店に入って絵を見るとしどけなく交合する絵を見て目眩を覚え、根岸の先生に指南を受けながら絵を描いていると聞かされ、家に帰って佐吉はお新の文机を真っ二つに叩き割った。一度だけお新と偶然町で会った時に元気でやってゐるかと互いに声を掛け合ったが、お新は遂に家に戻ることなく、離縁した。佐吉も裏店に戻り、おすみと所帯を持ち男の子をもうけた。お新と再会した佐吉は根岸と再婚したっていいと言うと、根岸が今年70で父親より年上だと聞き、取返しのつかない勘違いをしたことを知る。お新は「ふかがわ堀尽し」という題名の風景画を描き、佐吉はお新の画集を買う。最後の一枚は職人風の男が橋の欄干に凭れてじっと水の流れを見つめるもので、苦悩の色が濃い男の表情を見て自分に思えた。『さびしい水音』という題がつけられていた。画集を閉じると、幼い和助が胸に飛び込み、おすみが笑っている。その時にはお新も画集も頭の中にない。なんとも切ない話。

「仙台堀」

料理屋紀の川の主人岩蔵、娘おりつ、兄与平と、紀の川に出入りする乾物問屋「魚仙」の手代久助と魚仙の娘お葉が主要な登場人物。お葉は与平に憧れ、おりつは久助と所帯を持ちたいと願い、久助は病弱なお葉に目が離せない。与平が祝言をあげる直前、4人で出かけるが、与平はお葉を弄び、おりつは久助が所帯を持ってくれると思い込み、与平の祝言を迎える前日、お葉は姿を消してしまう。3日後、お葉は仙台堀の下流で発見され、与平は1年後別れ、やもめを通す。おりつは料理茶屋に嫁ぎ、久助は長いこと独り身を通し35で所帯を持つ。久助はお葉を救ってやれなかった後悔が胸を突き刺す。

「孤拳」

 吉原「大黒屋」の振袖新造、小扇に入れあげて。3日にあけずに吉原通いを続ける若旦那の新助。材木屋信州屋のお内儀おりんは、旦那竹次郎が小扇を身請けして新助の嫁にするのを玄人の女は自分だけでたくさんだと反対する。おりんは芸妓屋へ養女に出され20歳のときに友吉の子を孕んだことを鰻屋で告げたが友吉は信用せず店を立ち去った。財布を忘れ泣き面に蜂状態のおりんに優しく声をかけたのが竹次郎だった。妻に小さい新助を置いて去られた竹次郎はおりんをお内儀に迎え、おりんは新助を我が子のように育てた。竹次郎が小扇を身請けして商家の作法を鳶職の徳蔵に預けたが、小扇は新助に女房にならない、女中か妾にしてくれと言い、新助は再び吉原通いを始める。おりんは小扇に会いに行く。小扇は一生懸命働くから勘弁してくれ、それが若旦那のためだと言うが、おりんは全く納得しない。遂に小扇は自らの来し方を話し始め、おりんは小扇が自らの腹を痛めて生んだ娘だという事を知る。信州屋に帰ったおりんは2日間寝込む。その間、新助が小扇を𠮟りつけ、おりんにもしもの事があれば一生許さないとはりつけた。小扇はおりんの看病につきっきりだった。竹次郎も全て承知の上で小扇を新助の嫁に迎えた。おりんと小扇は仲良く狐拳をしている姿を奉公人たちが見入っていた。

 

 巻末の阿刀田高の解説にあるように、幻の名、深川恋物語《上》の各短編も、それなりに良い作品だが、この深川恋物語《下》の3篇は、それとは比べ物にならないくらいに、見事な作品に仕上がっている。小説家魂というか、腹が入っている、という表現が解説に使われていたが、読んでみて、なるほど、そういうことか、と合点がいった。こういえばおこがましいが、作者の作品ごとの成長の跡が感じられるというのはなかなか良い経験だった。