藤村の「夜明け前」 ビギナーズ・クラシックス 近代文学編 角川書店編

平成18年1月25日初版発行

 

裏表紙「近代の『夜明け』を生き、苦悩した誠実な知識人・青山半蔵。幕末維新の激動の世相を背景に、御一新を熱望しつつ御一新に裏切られていく半蔵の精神の軌跡をえがいた、日本近代文学最高の長編小説の完全ダイジェスト版。原作を読みたくてもあまりの長さに手が出なかった人、タイムスリップして、木曽路の一隅から明治維新の時代を一望・体験してみたい人必読。必要な歴史・制度・事件などのコラムも満載」

 

はじめに

 物語はペリーの黒船が来航した1853年かははじまり、1886(明治19)年、前年に伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任し3年後に明治憲法が公布されるという年まで、33年間の時代を背景にして、中山道(木曽街道、東山道)の木曽路西端の宿場・馬籠を舞台に、馬籠宿の本陣(大名等の宿舎)の主で馬籠村の庄屋(村長)でもある青山半蔵が主人公となって展開していく。半蔵のモデルは藤村の父・島崎正樹。

 半蔵は宮川寛斎から国学を学び、平田篤胤の学問に傾倒していく。父を継いで宿場の責任者となった半蔵は、木曽福島の山村家からの過酷な要求と、山林に生き街道に生きる民人との間にあって誠実さで身を処そうとする。ところが徳川時代でさえ許されていた一部山林への立ち入りや伐採などの住民への特権がことごとく奪われ、嘆願書を出した中心人物である半蔵には免職の書付けが示される。半蔵は「御一新がこんなことでいいのか」と呟く。娘が起こした自殺未遂事件が落ち着いたころ、東京で神祇省に勤め始めた半蔵だったが、理想とは程遠い職場で、ある日明治天皇の行列に憂国の歌を書いた扇を直接献上する事件を引き起こし逮捕され処分される。東京をはなれ高山郊外の水無神社の宮司として赴任。4年後馬籠に帰ったが、明治天皇東山道巡幸の一行が馬籠を通過する際にかつて献扇事件を起こした半蔵は屋敷の奥に謹慎させられ、半蔵の精神に異常がみられるようになる。そして菩提寺の万福寺に火を放ち狂死してしまう。

 本作は、個人的生活世界に限定され、社会性を欠くとされる日本の近代文学の歴史のなかで、異様にうつるほど歴史性、思想性、社会性が充満している。半蔵という近代の「夜明け」を生き、苦悩した誠実な知識人の精神の軌跡をえがいた心の叙事詩であると同時に、日本という島国が直面した未曾有の危機にさいしての民族の苦闘と再生へむけての物語でもある。

 

 前半(第1部)は、序の章に始まって、第1章から第12章までで構成されている。有名な「木曽路はすべて山の中である」の一文から始まる。宿場の役割が詳しく述べられるとともに、黒船来航という当時の時代状況の中で、参勤交代が廃止されるという国内の状況激変の様子がとても詳しく書かれている。その中、国学に目を開かれる半蔵、江戸到着し平田門人となり、宮川寛斎が横浜で生糸相場に手を出し、桜田門外の変が起きる。騒然とした世相のなかで半蔵の父が退役願を出した折、時代の要請としての公武合体の象徴として、皇女和宮が将軍家茂に降家することが決まり、その行列が木曽街道を通ることになって街道始まって以来の大騒動となった。次は将軍家茂が家光以来の上洛となり半蔵は御嶽山の里宮に参篭する。新選組池田屋事件蛤御門の変が起こり、江戸道中奉行から半蔵は呼び出しを受ける。攘夷の旗印を掲げた水戸浪士隊の主だったものは斬首され、幕府の長州征伐は失敗し、馬籠の宿場にも大政奉還の噂が伝わり、半蔵も王政復古を聞き知った。

後半(第2部)は、第1章から第14章で構成され、終の章で締めくくられている。 

慶応4年、新政府は、慶喜討伐の軍を結成し、東海道東山道北陸道の三方から江戸に向かって進撃を開始。半蔵は希望に燃えて軍をたすけようとしていた。東山道軍は4日にわたって馬籠峠の上を通過。江戸城無血開城する。関所は廃止、木曽谷から殿様がいなくなり、本陣・脇本陣も廃止され、庄屋は戸長と名前が変わる。そんな時、半蔵の長女に縁談が持ち上がる。山林の開放にかんする新政府の方針は幕府の規制より厳しいものであったため、半蔵は山林開放の嘆願書を精魂込めてまとめあげた。そんなある日、半蔵は嘆願書主唱者とにらまれて戸長を免職させられてしまう。福島からの帰り道、「御一新がこんなことでいいのか」と独り言った。そんな矢先、長女の謎の自殺未遂が起きる。時間がたつにつれ、傷も薄れたとみた半蔵は維新後の東京を見たいと思い立ち、東京で教部省お雇いとして奉職する。半年で退職し高山の神社宮司となるが、復古精神が一向に実現されないことに苛立ち、天皇の馬車に直訴する事件を起こしてしまう。扇には「蟹の穴ふせぎとめずは高堤やがてくゆべき時なからめや 半蔵」と自作の歌一首を書きつけた。5日収監されたのち、罰金3年75銭。家督を長男に譲り飛騨へ旅立つ。宮司として4年務めたのちに再び馬籠に帰った半蔵は天皇木曽路巡幸に巡りあうも、裏二階に籠った。長男が突然家に多額の借財があると告げ、財産のほとんどを売却することを決めた。そのころから半蔵の言動は常軌を逸しはじめ、夜の闇に向かって呟くことが多くなった。祖先が建立した万福寺の本堂の前でマッチを取り出す半蔵の姿が見いだされた。すぐに消火され、障子が半焼けとなったが大事には至らなかった。終の章で、半蔵は座敷牢の日々が続き、ある日、荒れ狂ったすえ、息を引き取った。御一新を夢に見、御一新に裏切られ続けた男の死、享年56歳。