赤い影法師《下》 柴田錬三郎

2008年11月20日発行

 

宗矩は真田幸村に、午前試合の勝者への拝領太刀が忍者に切先3寸が両断されたことを告げた。幸村は、かつて半蔵から剣相鑑定の依頼を受け、村正の作と断定したが、実は詐ったことを打ち明けた。宗矩から見せられた太刀は、正真正銘、村正と断定した。江戸城に忍び込んだ赤猿佐助が百助を正気に返すと、百助を追いかけてきた庭番が踏み込んできたため身を隠した。宗矩の前で、幸村は、九振の無銘太刀は備中青江守次の長子恒次の作と鑑定した。青江刀には平氏の隠し財宝を埋めた場所を示す迷語が焼刃に認められた。刃を中にして開いて読めば、「車・中・候」の三文字が浮び出ており、その謎解きを幸村は試みた。母影は半蔵により土中に埋められていた。囮にして若影を捕らえるつもりだった。由利は荒木村重の孫娘だった。若影は母影を、赤猿の助力を得て救出し、2人の行く跡を赤猿は尾けた。半蔵は幸村に疑われて捕まった。第七試合は荒木又右衛門と宮本伊織との対決。病んだ肺が破れた伊織は鮮血を吹き敗れた。幸村は母影に財宝を発掘し依頼者に渡すことが盗に糧を齎すに等しい愚挙であると諭した。第八試合は力の赤松又兵衛と術の竹内兄弟の対決。

第九試合は梅津紋大夫道行と松前三四郎純久の対決。立合いの一人は家光の命を狙っていた。石牢に捕らえられた半蔵は若影の送り込んだ鼠通しの法を用いて脱出した。表の第十試合は審判役が大久保彦左衛門で芳賀一心斎と難波不伝の相打ち、裏の第十試合は影と半蔵との忍法試合だった。幸村は唐の李公佐が撰した小説「謝小蛾伝」から謎を解いた。車は申で方向を示し、猿田彦の杜を意味していた。幸村は母影を抱いた。子影は由利を連れて退散していた。根毒を飲んだ母影に半蔵が襲い掛かると、小野忠常は長柄を突き出し、2人の胸を刺し貫き、半蔵の口は母影の舌を強く吸い込んで、死んでもなお、はなしていなかった。

幸村、由利、赤猿は秩父連山を眺めて遁れた。その年の大晦日の夜、猿田彦の頂上で土台石が掘りかえされていた。目的も何者の仕業かも遂に分からなかった。