2016年12月15日第1刷発行
15歳の牧文四郎は、親友で1つ上の小和田逸平と同い年の島崎与之助の3人で空鈍流の石栗道場に通い、居駒塾で学ぶ若者。隣家は小柳官兵衛で、長女ふくは12歳。ふくが蛇に噛まれた時は文四郎が傷口を吸って毒を出してやる。与之助は秀才の声高く道場をやめて江戸で勉学の道に進む。師範代が皆の前で吉村信蔵を斬った人物がいると道場で発言し、皆驚く。父助左衛門が藩内の争いに巻き込まれて切腹し、家禄が28石から7石に減り、母登世と屋敷から長屋に移る。遺骸を載せた荷車を引く文四郎に後輩の杉内道蔵が途中から後押しし、ふくも駆けつけて一緒に引いていく。ふくは藩主の正室に奉公するために江戸に向かうことに。道場で犬飼兵馬の相手をした後に帰宅すると、文四郎の不在中にふくが来た。江戸に出る前日にわざわざ来てくれたふくを探すが、見つからない。1年後、文四郎は元服すると、家老の里村から家禄を28石に戻し、20歳を待って郡奉行支配を命ずと沙汰される。文四郎は元の屋敷を訪ねると、小柳家は栄転し引越していた。ふくに殿様の手をつけたからと理由を聞かされふくが遠い世界に行ったとの感慨を抱く文四郎。道場主の石栗弥左衛門は奉納試合で文四郎が興津新之丞に勝てば秘剣村雨を授けると告げる。文四郎は小野道場に通う布施鶴之助と知り合うと、同じ長屋に住む亡矢田作之丞の嫁の弟であることを知る。鶴之助は興津と竹刀を交えた経験があり、文四郎に太刀筋を教える。江戸から一時帰国した与之助と再会した文四郎は、ふくが身籠ったものの流産した、どうやら松之丞の母親・おふねの陰謀らしいとの話を聞く。奉納試合で文四郎は興津に勝つ。文四郎に秘剣村雨を伝授したのは元家老の加治織部正。織部正は村雨を授ける前に派閥争いの内実を文四郎に伝えた。前の中老稲垣、筆頭家老里村派は、次席家老横山又助に証拠がなく手が出せず、助左衛門らを切腹させたが、2ケ村から助左衛門の助命嘆願書が出ていたので、旧禄に復したのだと。秘剣の伝授は7夜にわたる。与之介から手紙でふくが藩主の寵愛を失い国元に帰るらしいと知らされる。20歳になった文四郎は正式に郷村出役見習いに任じられ、せつを妻に迎える。ふくが殿の子を身籠り実家に戻るのではなく郷里の欅屋敷にいることを聞いた文四郎は屋敷まで足を伸ばすが、もとより会うことはなかった。上司の青木孫蔵と村々を回り、二人切りになった所で横山派に組みしないかと持ち掛けられるが、考える時間が欲しいと答える文四郎。がその青木も暗殺されてしまう。そんな最中、家老里村と稲垣に文四郎は藩の争いの種のふくの御子をさらって来いと命じられる。罠の臭いを感じた文四郎は、逸平や剣友の布施鶴之助と欅御殿を訪れ、ふくに事情を説明して横山家老の下への脱出を説く。その時、青木を暗殺しかかった襲撃者や石栗道場の後輩犬飼兵馬が襲いかかってくる。が文四郎はこれを退け、舟でふく親子と横山家老の屋敷に向かう。が、稲垣派が横山家老の屋敷を見張っているため、急遽加治織部正を頼り、横山は稲垣と里村を放擲して藩政の実権を握る。文四郎は今回の功績と父助左衛門の過去の功績が認められて30石が加増される。里村が意趣返しに文四郎に刺客を放つが、文四郎は刺客をも始末する。刺客は石栗道場の師範代三宅藤右衛門だった。20年後、ふくを愛した藩主が亡くなってしばらくした後、父の名を継いで郡奉行となった文四郎は、突然ふくから呼び出しを受けた。懐かしい昔を思い出す言葉を交わした後、二人は口づけする。ふくは思い残すことなくこの後に出家する。後悔と満足の入り交じった文之助は、蝉しぐれの中、馬を疾走させた(了)。
確かに読みやすい文体ですね。現在の歴史小説を書く多くの方々に大きな影響を与えた偉大な小説家の一人だと思いました。