1995年5月20日発行
筆頭家老の堀将監(しょうげん)の専横はもはや目に余るところまで来ていた。家老杉山頼母らは上意討ちしかないと決めたが、堀の護衛には右に出る剣士はないと言われる近習組の北爪半四郎がいるため、討手を誰にするかが重大な問題となった。無形流の達人の井口清兵衛の名があがったが、労咳で寝たきりになった妻奈美の世話をするために毎夕定刻になると城を離れて家に帰るのが清兵衛であったため、上意討ちが夜だと妻の面倒が見られない。清兵衛は夕刻に一度家に戻って妻の面倒を見て再び城に戻ってくればよいと言われ、妻の労咳の療治についても藩が助力すると言われると、上意討ちを引き受けた。当日、約束の時刻になっても清兵衛が現れなかったが、杉山は重職会議が堀の言いたい放題で終われば一切が潰えるため、清兵衛が杉山の話の最後には駆けつけてくれると信じて、堀の最大の謀叛を取り上げ始めた。そこに清兵衛が堂々と部屋に入ってきた。杉山は堀を追い詰め、堀がこの会議は気に入らぬと言って部屋を出て行こうとしたところを清兵衛は抜き打ちに斬った。北爪が遅れて疾走して来たが、杉山は和泉守の手紙を読み上げて上意討ちを宣告した。上意討ちが成功した褒美で、転地療法と医者を変えて治療を受けさせるができて妻の奈美はいくらか元気になった。ある日、北爪が清兵衛に近づいてきたが、一撃で北爪は地面にのめった。帰り道に妻女が迎えに来ていたので手を取って夫婦の柔らかい会話をしていた。たそがれ清兵衛の名は、清兵衛が昼間は介護疲れで時に居眠りするものの、夕方になると元気になるために回りから付けられた渾名だった。
うらなり与右衛門
三栗家の多加の婿入りした無外流道場の高弟内藤与右衛門に、突然艶聞めいた噂が立った。元の上役の寡婦と通じているのを見かけた者がいるとの噂だった。藩主から下された菓子を届けに上に上がり茶を一服喫し、玄関を出ようとした矢先に差掛かった時に寡婦に差し込みが来たため背後に回って背中を押しただけであった。寡婦から漏れたとしか考えられなかったが、確かめる機会もないまま、20日の遠慮という処分が下った。ちょうどその時期は、与右衛門が護衛を務める家老長谷川志摩の内密の行動を取らねばならぬ時期と重なっていた。長谷川の政敵である筆頭家老の平松藤兵衛の近習頭を務める伊黒半十郎は寡婦の親戚だった。寡婦が処分のことを聞き付けて心配して与右衛門と妻を訪ねて濡れ衣であることを告げに来た際、差し込みの件を話した先は召使と伊黒だけであることを明かした。このことで間違いなく家老長谷川の内密の行動が敵方に漏れ伝わっていると確認した与右衛門は、自分の代わりに護衛に立った白井甚吉と友の中川助蔵を憂慮して内密の件を実行する当日の夜に志摩たちの下に向かったが、人の目についてしまったために志摩たちを追うのを諦めた。予想通り、長谷川家老が刺客に襲われたが、甚吉と助蔵の警護に助けられ一命は取り留めたが、助蔵は命を落とす。再び政敵を追いやった長谷川家老により、平松派の多くは処分されたが、助蔵の命を奪った件は証拠不十分で不問に付された。与右衛門はある日伊黒半十郎とすれ違った。伊黒がうらなりと愚弄し先に刀を抜いたために与右衛門の刀は2度閃いた。証人がいたのでうらなりの処分は遠慮20日で済んだ。
うらなりという渾名は、与右衛門の顔から来ている。色青白く細長い顔をしめくくって、ご丁寧にあごのところがちょっとしゃくれている。へちまのうらなりを誰もが連想するためであった。
ごますり甚内
川波甚内は、雲弘流の堀川道場で師範代を勤め、六葉剣と呼ばれる短刀術を授けられた剣士だった。ところが、2年前の川波の父の不正が後に発覚し、家督を譲り受けた甚内に改めて5石の減俸処分が下されることになる。しかし今処分されると、周囲から自分の失態のせいだと誤解されるため、せめて内密の処置で済ませてもらえるよう懇願すると処分は公にされなかった。甚内は早く処分が撤回されるよう上役にごまをするようになり、そのためごますり男の渾名がついた。ある時、家老の栗田兵部が甚内に禄の回復を約束した。その代わりに、女に包みを届け、代わりに手紙を受け取る任務を受けた。帰り道、5人に囲まれたが、3人に傷を負わせて撃退した。ひと月半後、甚内は家老の山内蔵之助と大目付の大熊百弥太に呼び出され、甚内の任務の詳細の説明を求められた。そして甚内が襲われた刺客の3人の名を告げられ、刺客を使って甚内を襲わせたのが栗田だと聞いて驚く。保身のためと聞かされ、栗田を城に呼び糾明するので強弁して言い逃れするなら甚内に処分するのに手を貸せと命じられる。首尾よく栗田を短刀で差し込み晴れて5石は旧に戻され、5石加増の沙汰があった。
ど忘れ万六
物忘れがひどくなった樋口万六は家督を息子参之助に譲り隠居生活に入った。息子の嫁亀代はある日突然万六の前で涙を見せた。かつての隣人の片岡文之進と再会し茶屋で茶を馳走になり茶屋から出てきたところを大場庄五郎に見咎められ脅されているという。万六は片岡と会い、不義密通の無いことを確認し、片岡に大場に対して誤解を解いてもらいたいと頼むが、大場に関わりたくない片岡は自分でなく万六が先に掛け合ってくれと言って逃げてしまう。已む無く万六は大場に乗り込んだ。万六はかつて林崎夢想流の名手だった。大場は脅したことはないと否定するが、見たことを言う言わないはこちらの自由だと言うので万六は上に届け出ると言って出ていくと大場が追ってくる。大場が鯉口を切り襲ってきたため、万六は脛を払い川に大場を投げ込んだ。大場は以来亀代とすれ違っても眼をそらして一度も見なくなった。嫁の作った料理は上手いと思いながら、鮒の甘露煮の名前が出てこなかった。