赤い影法師《上》 柴田錬三郎

2008年11月20日発行

 

「影」が三条河原で処刑されそうになった際、服部半蔵は「影」が遁れるのを手助けした。 この時、「影」は半蔵に、必要な秋があれば木曽谷を訪ねてくれば、いかなる依頼も引き受けると誓言した。それから15年後、半蔵は「影」が隠れる木曽谷を訪ねた。本多正純服部半蔵を召して、秀れた忍者を使わせ同類の「風盗」を討たしめようとしていた。半蔵は15年前の誓言を思い出しこの命令を受諾した。半蔵は「若い影」(子影)をつれて木曽谷を出た。半蔵が子影の肩に片手を置いた。女子だった。子影が老いたる「影」の下に戻った。子影の体から漂い出る微かな匂いから半蔵に犯されたと推察した。この物語はそれから20年を経て新たな構成を整える。

(場面がガラリと切り替わり)巷説の将軍家光時代の寛永の御前試合は、14日間にわたって、10試合が覧られた。勝者には政宗が打った無名の10振が与えられた。諸侯、旗本の列座はない。覧たのは家光唯1人。第一試合は神道流妻片久太郎時直と一伝流浅山内蔵助重行の対戦、審判は白扇を持った柳生宗矩と銅鑼を持った小野忠常だった。勝者は久太郎。若い影が現れ、拝領した太刀の切尖3寸を切断し奪い去った。第二試合の樋口十郎兵衛も同様に拝領した太刀の切尖3寸を奪われた。奪ったのは「子影」が生んだ「若影」だった。子影は年老い「母影」となっていた。柳生十兵衛と柳生兵庫介の一子新太郎厳方が対峙した。新太郎が太刀を抜き放つと、破刀だった。父から試合まで抜いてはならぬと厳命されていたので新太郎が真っ先に訝しがった。無心の境地に至った新太郎が破刀で十兵衛を捉えかけ、十兵衛が猿飛びの姿勢を取った瞬間に、宗矩が無勝負を宣言し、十兵衛は紋服を、新太郎は無銘太刀を拝領した。場所を変えて再勝負していたところに現れた曲者は、拝領太刀の切先3寸を切断した。宗矩が半蔵に、太刀先3寸を影に奪い去られたことを告げ、退治を命じた。第四試合は鞍馬古流鴨甚三郎利元と宝山巴流の薙刀を使う遠藤由利の対戦。由利の対戦相手の鴨甚三郎は春日局から勝ちを譲るよう言い含められていた。極度な男色趣味の家光に由利を送り込む奇策でもあった。試合後、春日局から寵愛を受けるよう告げられ、勝ちを譲られた理由を知った由利は家光でなく己を取拉ぐ男を求めると、影が現れて心で犯した。その直後、半蔵と影との壮絶な争闘が始まった。影の顔はかつての「子影」と瓜二つだった。半蔵は影から拝領太刀を奪った。これを真田幸村に検相してもらうと、千子村正だった。傷付いた若影に母影が赤鋺の油を塗り傷を癒した。第五試合は大捨流菅沼新八郎と羽黒山自念坊の対戦。新八郎が勝利した。宗矩は半蔵に新八郎の見張りを命じた。由利は大奥にのぼり家光に取拉がれ、その直後に影が現れて褥の上に倒された。新八郎の拝領太刀も切先3寸が折られた。母影が新八郎の寝所から出て来たところを半蔵が攻撃した。若影が母影と半蔵の子であることを互いに知りつつ、宿命の好敵手として忍者同士として戦い、母影は消えた。第六試合は関口弥太郎と佐川蟠竜斎の対決だった。蟠竜斎は猪骨の術で勝利し無名太刀が与えられた。蟠竜斎がいつの間にかすり替わり、由利の太刀も影に奪われた。母影は仮死状態となり池底に沈んだが、半蔵は魂入れを続け、会陰に針を刺して意識を取り戻した。