昭和58年10月5日1版1刷 昭和60年3月20日1版3刷
①「天の羽衣」を着て…
②一族の伝説
③“玉のような長男”
④五歳の賢い棟梁さん
⑤中学三年まではスポーツ少年
⑥日露戦争のころ
⑦無期停学をくらう
⑧文学はわが宿命か
・明治壬申25年4月9日、和歌山県新宮市生まれ。父は地方最初の病院を創立した。中学三年で数学の点が足りず落第した。中学四年級の暑中休暇前に与謝野寛ら三先生を招聘して文芸後援会を催すと、無断で公開演説をしたのと外部から自由主義文学者の主張を紹介した内容を問題されたために無期停学の処分を受けた。退学を決意してふてぶてしく過ごし卒業記念の寄せ書に「悠々自適」と書いた。「スバル」「三田文学」に詩歌が採用され、少年詩人の名をほしいままにした。三田には大正3年までいた。社会主義青年にはならないで文学青年であった。やがて田園の憂鬱状態に入る。(昭和39年5月6日死去)