私の履歴書 尾崎士郎(作家) 日本経済新聞社 文化人2

昭和58年10月5日1版1刷 昭和58年11月7日1版2刷

 

①“よくお泣きやした”子供の頃

②母に連れられて叔父の家へ養子に

③“坊ちゃん”を読み文学に興味を

④中学一年で落第、村中の評判となる

⑤中学四年、弁論大会で「学生論」を

⑥単身樹夫供して早稲田大学へはいる

⑦「売文社」への出入りで巡査が尾行

⑧実家没落、文学ひと筋の腹を決める

⑨“空想部落”を去り再び孤客となる

⑩酒に明け酒に暮れた時代

⑪「成吉思汗」の執筆で蒙古に旅する

⑫太平洋戦争でフィリピンに従軍

 

・6歳で横須賀尋常小学校に入学し、途中で野毛山小学校に転校し、岡崎中学に入った。新愛知の論説記者の桐生悠々と書信の往復をし、悠々随想に発表された。東洋経済新聞社に入社し、午前中は学校に、講義が終わって出社した。国家社会党の一員となり、東洋経済を退社。東京毎夕新聞の記者となるが、そこを退社すると吉川英治氏が入社してきた。東京毎日新聞に入社。その後、放浪生活を続け、昭和13年秋には作家20余人が武漢作戦に従軍し、私は陸軍部隊へ組み込まれた。昭和17年に内地に帰還し、戦後追討令を受けた。解除されたのは昭和25年10月。それまでは政治並びに時局問題については一切口外してはならぬとなっていた。以降13年を経て今日至るまでの略歴は省略。(昭和39年2月19日死去)