私の履歴書 和田完二(丸善石油社長) 日本経済新聞社 経済人5

昭和55年8月4日1版1刷 昭和58年10月24日1版8刷

 

兵庫県の一寒村に生まれる

②住み込み書生で中学へ

③満鉄から丸善石油

満州事変、軍相手にぼろい取り引き

⑤大連で終戦、わいろで逮捕免れる

丸善を出て仲間と小会社を作る

⑦神仏の加護で再起、宇宙殿を建立

⑧半身不随で社長就任、社憲を制定

⑨日の丸をかかげて石油報国

⑩従業員への報恩から和協会発足

⑪すぐに役立つ技術者を養成

 

明治29年6月12日兵庫県生まれ。丸善石油の前身の丸善砿油に入り、大連支店長となり、後に上海支店長を兼務した。外油三社が独占していた中で国産油の売り込みに苦労したが、故障したら弁償すると啖呵を切って国内油に切り替えてもらうと、値段がべらぼうに安いため全部国産に切り替えることが出来た。それでも利益があったから外油三社の儲けは大変なものだった。戦後帰国したが、丸善石油が退職金千円を支給して引揚者をクビにしたのを見て退社し、太平公司を立ち上げると同志が次々と集まった。昭和24年になるとGHQから石油製造再会の許しが出たので、丸善石油に全員が復帰した。大阪支店長、営業部門担当の常務、専務となったが、病気で倒れた。私がいないと会社が回らず、社長になってくれと頼まれ、やむなく引き受けたが、左手はまるっきり動かない状態だった。だが社長になってから会社の性格はがらりと変わった。派閥がなくなり、社憲を制定した。共済会とは異なる、会費はもらわない和協会を作った。乗馬だけが唯一の楽しみだった。昭和32年には丸善石油高等工学院を開校した。後に丸善石油学院と改称し、今日に至っている。(昭和38年丸善石油顧問に就任。39年相談役。43年8月13日死去)