月と六ペンス W・S・モーム 大岡玲訳

1995年9月20日初版第1刷発行

 

表紙「愛なんか、いるもんだ、そんな暇はない。ぼくは描かなければならないんだ。そうするしかないんだ」画家ゴーギャンの生涯を素材とした芸術家小説の傑作。モームの鋭い人間観察眼を浮き彫りにした新訳決定版。」

表紙裏「『ぼくは描かなければならないんだ。そうするしかないんだ』妻子とともに平凡に暮らしていた株式仲買人のストリックランドは、絵を描きたいがためだけに40歳にして突然ロンドンの家を出た。芸術の都パリで、彼はとりつかれたように描きまくる。自分の絵を理解してくれるただひとりの友人の妻を寝取り、自殺に追い込んでも罪のかけらもない。『あの女は素晴らしいからだをしていたんで、僕は裸を描きたくなった。描き終えたら、興味がなくなっちまったんだ』やがて、自分の魂を南洋の島タヒチに見つけ、パリも捨てて、その地に同化していく。病におかされながらも死ぬまで描きつづけていく。『タヒチの女』で有名な、フランスの後期印象派の画家ゴーギャンにヒントを得て書かれたモームの傑作。美術への造詣の深い芥川賞作家による新訳が、芸術家の苦悩を描いた小説というだけではない、モームの鋭い人間観察眼と社会風刺の視点をためて浮き彫りにする。小説の醍醐味を存分に満喫できる一冊。」

 

主人公は、証券会社で働くストリックランドと知り合う。ある日突然画家を志し、家族を捨てて旅立つ。捨てられた妻の使いで主人公が翻意するよう話をするが、ストリックランドは一切気にかけない。そのことを妻に告げると、女と駆け落ちしたと思い込んでいた妻は一層ストリックランドを恨み金輪際許さず全くの無関心となる。

5年後、主人公はパリで画家のストルーフェと再会。彼はストリックランドを天才という。ストルーフェは、“美は素晴らしい、不可思議なもの。芸術家が魂の苦悶を通じて混沌とした世界の中からつまみだしてこなければならない”“それを認識するためには芸術家の冒険をみずから繰り返す必要がある。作品は芸術家が君に歌ってくれるメロディーだ。それを再び君自身の心に響かせるためには、それなりの知識と感受性そして想像力がいるんだよ”と語る。

ストルーフェは彼が重病の時に自宅に呼び寄せる。反対する妻を説得して。ところが何と妻がストリックランドに奪われてしまい、そのことを知ったストルーフェは、彼と妻を自宅に住まわせるために自分が家を出る。ところが彼と喧嘩した妻は自殺してしまう。妻の死後、アトリエでストリックランドが妻をモデルにした絵を見てストルーフェは切り裂こうとナイフを振り回すが、絵に畏怖して決行できず、故郷のオランダへ帰った。

一か月後、主人公はストリックランドと偶然すれ違い、ストリックランドから男尊女卑的な話を聞いた後、誘われるままに彼の家に赴く。そこで稚拙な技術しか持ち合わせていない彼の絵を30枚ほど見せられる。が、かつて見たことのない絵だ。異常なまでに毒々しい色彩に彩られ、混沌とした宇宙に新しい秩序を見つけ苦しみながらなんとかそれを形にしようと不器用な試みをしている、そんな雰囲気の絵だった。

ストリックランドと別れて15年、彼が死んで9年が経った後、彼が移住した先のタヒチに着く。彼は現地の17歳の女性アタと結婚し、幸せな生活を営んだ。

だが、晩年、ハンセン病を患い、顔の形状が変形した姿を見た医師から、生前のストリックランドの様子を主人公は聞く。亡くなる直前まで彼は家の壁に絵を描き続けた。それらは言いようもなく神秘的でとてつもなく素晴らしいもので、息が詰まる思いだった。美しいと同時に戦慄的な何かを探り当てた人間の作品だった。既に彼は死んでいた。アタは医師に1年程前から目が見えていなかったと伝える。主人公に画題は分からないが男女の美しさへの参加であり、残酷でもある自然への讃歌だったとも。そしてそれらの作品は彼の遺言によって燃やされてしまい破壊されてしまった。医師は彼からもらった果物の絵を診察室にかけていた。医師の妻はそれをどうにも淫らな感じがするらしく応接室に置きたがらない。

主人公はストリックランド夫人に手紙を出し面会した。天才の妻だったということは何がしかの責任があると述べた夫人に主人公はタヒチで知り得たことを伝えた。

 

巻末の解説で、訳者はゴーギャンはちょっとしたネタにすぎず、“月”すなわち芸術への情熱を成就させるためには平然と“六ペンス”つまり俗世間を無視する、そんな一途な人間に皮肉屋のモームがどこかで憧れを抱いていたと考えないかぎり、この作品の後半に漂う一種の崇高さは理解しにくいと指摘している。他のネットでは、狂信的に美を追求する人生か、六ペンスに象徴される世俗の幸福に満足する人生か、どちらを選ぶかはそれぞれその人だけに与えられた権利である、と指摘している人もいたが、確かにそんなテーマを抱えた小説なのかもしれないなあ、と思いつつ、本を閉じた。