太陽の棘《上》 原田マハ

2022年11月20日発行

 

1946年5月、ウィルソンは、スタンフォード大学医科大学院を修了する直前、在沖縄アメリカ陸軍の従軍医任命の通達を受ける。研修・臨床経験を積み、沖縄に派遣された。沖縄で精神科医として精神を病んだ米兵を診察する日々を送る。何もかも吹き飛ばされ焼き尽くされた沖縄の街を、非番の日、同僚のアランとドライブに出掛け、ニシムイ・アート・ヴィレッジを偶然発見し、そこで暮らす誇り高き画家たちと出会った。その中の一人セイキチ・タイラはかつてサンフランシスコに単身渡り、サンフランシスコ・アート・インスティテュートで2年の期間限定で絵画を学んだ経験を有していた。東京美術学校を卒業した後、帝国海軍航空本部に就職し従軍画家として南洋諸島に派遣され戦争画を描いた。戦後、沖縄に帰り、一旦は米軍政府の文化部芸術家所属の技官となったが、文化部が解散となり自立して売り絵を描くようになり、そこで作ったのがアート・ヴィレッジだった。そして初めてここに足を踏み入れたのがウィルソンだった。ウィルソンは彼等に連れられて小高い丘の上に着くと、封印していた絵心が騒ぎ出した。彼等からはほとばしる生命力があった。ウィルソンもアランも絵を描きたくなって絵筆をとった。ニシムイの画家たちはほとんどが東京美術学校の卒業生だった。本国への土産物に彼等の絵を買う軍人が増えた。ある時、画家たちの作品に対する率直な感想を口にすると、突然顔色が変わってアメリカに帰れと言われた。彼等の魂を踏みつけたと言われ、そんなつもりがなかったので大変驚いた。何が彼らを怒らせたのかわからないままだった。