2000年8月1日初版第1刷発行
有王は、ある琵琶法師が俊寛が狂い死にした、私が俊寛の亡骸を肩に投身自殺したといい、別の琵琶法師が俊寛が島の女と夫婦の語らいをし子も大勢出来たというが、すべて好い加減だという。有王は、琵琶法師たちの話は嘘ばかりと言い、俊寛を鬼界が島で尋ねた時の事を話し始める。有王は治承三年五月の末に鬼界が島へ渡り、人気のない海べで俊寛とめぐり遇う。俊寛の姿は昔よりも一層丈夫そうな頼もしい姿だった。俊寛が住居へ案内する途中、島の土人の男女が俊寛の姿を見ると頭を下げ、女の児さえお時宜した。ある夜、有王は御招伴に預かった。島の名産の臭梧桐(くさぎり)を始め、永良部鰻(えらぶうなぎ)、白地鳥などの珍しい御馳走が並んだ。俊寛は食事をしながら仏の教えを説いた。俊寛は有王に都に帰り、姫に島での生活ぶりを土産に聞かせてくれという。俊寛が鬼界が島に流されたのは平家や源氏の争いに巻き込まれただけで、自分は天下を計った覚えはないと言う。そのため当初は忌々しい思いを抱いていたが、次第に島に慣れ心の平穏を取り戻していった。島に流された丹波の少将成経は謀叛人の父ばかり怨み、康頼は現金な男だと語る。ある日、俊寛と火山へ登り、名残り惜しい思いをしながら、有王は都に帰る。形見に「見せばやなわれを思わむ友もがな磯のとまやの柴の庵を」という歌をいただく。