光と影 渡辺淳一

2013年9月13日第1刷発行

 

裏表紙「戦場で腕に銃創を負った二人の兵士。軍医は、一人の腕は切断したが、ふとした思いから、もう一人のそれは残した。そんなほんの偶然が両者の明暗を分け、市井の人となった前者は悶死し、軍に残った後者は陸相、首相へと上り詰めた―。実際の出来事をもとに描いた表題の直木賞受賞作など、傑作小説四篇を収録。」

 

「光と影」

右腕に同じような銃創を負った小武と寺内への軍医の気紛れとも言うべき対応の違いがその後の二人の人生を分けた。右腕を失った小武は予備役となり偕行社勤めとなり、右腕を残された寺内は当初は膿が出続け痛み続けた右腕で使い物にならなかったが、現役軍人に残った。将校たちのクラブの偕行社で小武は商人のような仕事をするが、かつて小武より劣っていた寺内は陸軍少佐、陸軍中佐、陸軍少将と昇進し、陸軍大臣に任じられる。義手を求めた小武だったが、当時はまだなく、偕行社の事務長を引き継いだ。東京偕行社の社長は陸軍大臣が務めるため、小武は寺内を訪れた。寺内は義手を無料で作れる鋳造所を教えるが、小武は固辞し、ここで小武は爆発する。「生半可な同情なぞはやめてくれ」と言って紹介状を床に投げつけた。日露戦争の処理が終わると寺内は陸軍大将となる。偕行社のある集まりで将校同士が喧嘩をし出した。小武が止めに入るが「老いぼれ」呼ばわりされ、殴りつけられる。周囲の者が寺内閣下と同期で親しい方だと言われてようやく収まった。62歳で退職した小武は手術をした佐藤進医師を訪ねた。あの時たまたま小武のカルテが寺内のより上にあったので切断手術となり、その直後寺内も切断する予定だったのが急に気が変わったために切断しなかったという。以来、小武は異常行動が目立ち始め、精神病患者として癈兵院に収容された。寺内の死後、小武は2年生き延びた。

 

「宣告」

画家で63歳の祁答(けどう)院正篤は直腸がんの手術を受ける。が末期がんのため、半分しか除去できず、あちこちに転移していた。普通の患者ならば、がんの告知はさけ、あるいは告知したとしても全て取り除いたと説明する。が、担当医の綾野部長は祁答院が芸術家であることから告知して、最後のいい仕事をしてもらいたいと言う。船井医師は人工肛門造成術後に告知することにし、造成術後に余命1年と真実を告げる。祁答院は生きる気力を失った。1か月近く経ったある日、祁答院はスケッチを始めた。次に故郷に戻って絵を描きたいといい、戻ってきてから病室で更に描きたいと言った。二作目は消灯時間を過ぎても病室の中で電灯をつけて描いた。描き切ったところで事切れた。30号には咲き乱れた花が一直線に続く房総の春。10号には幾組もの男女が全裸のまま、ある者は交合し、ある者は迫っている。丹と朱のどぎつい色彩がほどこされている全裸ののたうつ男女。二つの間には天と地の違いがあった。

 

「猿の抵抗」

男性の梅毒患者が脊髄癆を起こす。貴重な症例のため、学生実習のための学用患者として入院治療を受ける。教室でも実験患者の扱いを受け、多くの学生の前で、ウェストファール症候、アーガイルロバートソン症候、ランツイイレンデシュメルツェンの代表的な三つの症例検査を受ける。ウェストファールは第四腰髄の反射路が切れている症状で腱反射の反応がない状態を、ランツイイレンデシュメルは肢の方に電気でうたれるような痛みが走る状態を、アーガイルロバートソンは瞳孔に光が入っても縮まずに強直を起こしたままの状態を言う。この3つを合わせてトリアスというらしい。一番簡単な指・指交差試験(両手を思い切り左右に開いてから両手の人差し指を次第に近づけて鼻の前で両方の指先を合わせる試験)を目を閉じて行わせると指先が合わない。何度やっても合わないので学生から「ほう」という溜息がもれた。こういう対応をされた男性患者が抵抗するために、指先があうように病室に戻ると一人で特訓し、人前で実験させられた時に見事に指先を合わせたりした。指導教官が左右に開くのではなく上下に開かせてその後で顔の辺りで指先を合わせるよう切り替えると再びすれ違ってしまった。この患者はこれ以上、医者の思う通りにはさせないと最後に小瓶に入っていた睡眠薬を飲み、私は勝つに違いないと思いながら眠りに就いた。

 

「薔薇連想」

 劇団員の若い女性が交際相手から梅毒を移された。足の裏の土踏まずの部分に湿疹ができ皮膚が剝け、亀裂が生じて光っていた。薔薇疹が出る第二期に移行していた。病院に行き、進行を止めることはできるが、完治することは難しいと言われた。かつての交際相手は大動脈瘤破裂で死んだ。自分だけの血に戻りたいと思ったが無理だった。なぜ自分が選ばれたのか、孤独感が寄せて来た。ならば同じ血の仲間が欲しくなり、プロデューサーの男性や、戯曲の翻訳を手掛けていた大学教授との関係を重ねていった。関係を持った男性はいずれも第二期の薔薇疹が出たのを確認した。かつてつき合った彼氏が結婚すると聞き、再び関係を持った。その彼にも薔薇疹が出たのを確認した。その彼氏は結婚した。彼の躰を通して新妻に達し子へ繋がっていくことで心は満たされた。劇団のメンバーが通うスナックのママから遂に出入り禁止をくらった。

 

最後の「薔薇連想」は、タイトルと言い、何とも不気味な小説ですね。梅毒、エイズ等、こういう広がりを持っていると考えると、不用意に知らない女性と接触することは絶対に避けなければいけませんね!