天と地と《上》 その3 海音寺潮五郎

令和元年8月

 

水門口で2人は番卒に見つかったが、槍を水中から新兵衛が強く引くと、番卒は体もろとも濠に引き込まれた。2人は岸に泳ぎ着き、林泉寺に駆け込んだ。和尚は景虎を匿った。騒ぎにならぬよう山内の坊さん達に演説した。常安寺で匿うとの申し出に返事が出来ない新兵衛だったが、栃尾に逃げたとは敵も思わないだろうと考えて景虎はこれに応じた。定行は、俊景は勇猛だが民を酷虐するに違いなく、主にしてはならないと思案していた。定行の下に本庄慶秀の使いが訪ねた。景虎の器量を見定めるために定行は景虎と7日後に福昌庵で会うことにした。約束の日、景虎は定行の弟子となろ兵法を教えてもらいたいと言い出した。定行は次代の守護代がこれで決まったと思い、早速兵学を教示した。こうなればこういう心となり、ああなればああいう心となると、人の心の変化を読む修練をすることを日常怠ってはならぬ等と教えた。定行に学ぶ道中で景虎は定行の娘乃美と知り合った。兵学を修め、近国の形勢を見たいと定行に相談すると他国に行っている時ではないと諭し、晴景を諫めたいと思う景虎の行動には賛意を示した。

 

景虎は晴景の下に向かった。新兵衛が途中で玄鬼を見た。為景の死後、晴景に雇われていた。玄鬼は藤紫と源三郎を晴景のために献上していた。玄鬼は景虎を道中で見たことを晴景に伝えた。景虎は晴景に説いたが、晴景はその諫言を入れず激怒を挑発した。留まるべきでないと思った景虎は暇を告げて城外に出た。能生という海沿いの村、糸魚川、戸波、栴檀野、頼成、神通川、飛騨から信州に出た。

 

尼のいる寺に向かうと、松江がいた。松江は生捕りにされた後逃げ出して芦峅寺の和尚が山奥の寺に逃がしてくれたという。松江は景虎と一緒にいた弥太郎に恋をした。二人は夫婦の約束をし、翌朝、景虎はそれを許した。景虎たちは平湯峠、安房峠を越え、野麦街道から松本平に入った。晴信が平賀源心を討ち取った。信虎は晴信を追い出そうとしたため、晴信は重臣らと工作して今川家に密使を遣わし、信虎が今川家に直接依頼することになった。今川家は信虎を軟禁し、21歳の晴信が武田家当主となる。晴信は諏訪ご料人を側室とした。

 

景虎は自らの生い立ちも影響してか、晴信に同情的だった。がこの側室としたことを生理的に受け付けなかった。景虎は秋になって琵琶島に帰り着いた。定行は景虎に小康状態を破るために義兵を挙げることを勧めた。松江と弥太郎の祝言が終ると、俊景との戦いの先陣を切った。景虎は見事な勝利を収めた。晴景は景虎が勝手な事をしたと立腹したが、上杉定実から懇々と諭され、五百の兵を出した。新兵衛は景虎毘沙門天の申し子であるというと、皆奥方が百日参詣したのを思い出した。