春風伝《上》 葉室麟

2018年5月20日発行

 

諱(いみな)を春風というので、「春風伝」。晋作は通称。長州藩高杉小忠太の嫡男。小忠太は定広が世子となってから小姓役を務め、晋作も後に小姓役を務める。藩で役職を持ちつつ、維新で大事な役目を果たすというところに、他の維新の功労者とは違った晋作らしさがあるように思う。晋作は、吉田松陰草莽崛起孟子に「国に在るを市井の臣といい、野に在るを草莽の臣という。皆庶人なり」から採った。野とは地方)という考えを背景に、リアリストでなければ現実の変革はできないと考え、自分の目で見て確かめてどう進むべきかを考えた上で果断に実行していくタイプだ。

密航を思い止まるようにとの世子のお言付けを晋作から伝えられた松陰は、晋作自身はどう考えるか尋ねると、晋作は松陰と墨夷に渡したいと答えた。すると、松陰からは軽薄だと言われ、密航は成就しても失敗しても国法を犯すことになる、それは士籍を剥奪された一介の浪人であり一身を擲つことだけしか道が残されていない松陰だからこそ行えるものであり、晋作は上士の家に生まれ世子から言葉をかけられる身である、国難に際して晋作にしかできぬことがあるはずなのにそれを顧みず自らの望みだけを口にするのは軽薄というほかないと叱責される。後に晋作は松陰から「天下固より才多し。然れども唯一の玄瑞失うべからず」と送別の辞を贈られ、長州が藩軍洋式化のために西洋学所を設立し幕府も海軍伝習所を開設し海軍術を修めさせる中、玄瑞が和蘭語の書を読み軍艦運用に取り組む姿を見て自分より前を歩いていると焦った晋作は自分も軍艦の乗り方、天文地理の術に志しと書いて玄瑞に追いつくつもりだとの思いを松陰に伝え、江戸を発って帰国した。松陰は死罪を免れると思っていたが、斬首。井伊直弼暗殺事件が起き、世子定広は今後ますます世情不穏になる中、藩是を定めるために佐久間象山横井小楠の知恵を借りたいから晋作に話を聞いて来いと命じる。晋作は、交易による利益が藩を潤しひいては国を守る方策になる、幕府は徳川家の利害を図っているに過ぎないと見抜いていた小楠こそ唯一無二の士と玄瑞宛の手紙で綴る。長井雅楽が建議した航海遠略策に舌を巻いた晋作は、朝廷開国を説く雅楽尊王攘夷派の的とされることを恐れて自らが雅楽を斬ると名乗り出ることで雅楽を守る役となる。

上海行きのために長崎を精力的に回り海外知識を蓄えた後、上海に渡る。アヘン戦争に敗れイギリスやフランスなどの列強の租界が作られ、軍艦や商船が数百艘も停泊し楼閣のように商館が立ち並ぶ景色を見て、実質的には外国が支配する都市を見た。アヘンを追い出そうとする太平天国と、弱体化した清朝政府を援助した方が利権を確保できると考えたイギリスの戦いを、明日の日本の光景を見る思いで見ていた。